老洞朝倉須恵器窯跡とは? わかりやすく解説

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老洞・朝倉須恵器窯跡

名称: 老洞・朝倉須恵器窯跡
ふりがな おいぼら・あさくらすえきかまあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 岐阜県
市区町村 岐阜市芥見
管理団体
指定年月日 1979.05.31(昭和54.05.31)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-6-039[[老洞]おいぼら]・[[朝倉]あさくら]須恵器窯跡.txt: 岐阜県[[各務原]かがみがはら]市の北半から岐阜市東端にかけて広がる各務原山地南麓には、130基をこえる奈良・平安時代須恵器窯跡分布しており、美濃須衛古窯跡群の名で知られている。老洞古窯跡群および朝倉古窯跡群は、この美須衛古窯跡群の西端通称諏訪山南北斜面にある奈良時代窯跡群である。
 南麓朝倉古窯跡群は、昭和42年美濃国」の刻印を持つ須恵器発見され注目されることになったものであり、現在4基以上の窯跡保存柵で囲われ残されている。一方北麓にある老洞古窯跡群は、昭和52年美濃国」印をもつ須恵器表面採取によって発見され、翌53年岐阜市教育委員会名古屋大学による確認調査が行われた。調査結果、3基の窯跡確認され3号窯・1号窯・2号窯の順で継続して操業されたこと、そのうち奈良時代初頭1号窯で「美濃国」の刻印ヘラ書をもつ須恵器生産していたことがわかった全貌検出した1号窯は、全長9.3メートル焼成室の最大幅1.3メートル規模をもつ、半地下式・無階の登り窯である。1号出土刻印ヘラ須恵器総数402点を数え、杯・長頸瓶・平瓶など当時殆んど器種含んでいる。
 日常用器である須恵器にとくに国名記した理由については、時期限定されること、また国名を記す例が美濃1国に限られることからも、種々の想定が可能であるが、まず第1に指摘されるのは美濃国衙との関係である。このことは、美濃国印をもつ須恵器出土地が、旧美濃国隣接する尾張国北辺部に集中し、この地域外では、平城宮斎宮限られることからも明らかであり、これらが美濃国衙と密接な関係をもつ工房において生産され可能性極めて高い。老洞・朝倉窯跡群は、奈良時代初頭国衙関連工房実態をうかがうことのできる遺跡として貴重なのである
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老洞・朝倉須恵器窯跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/27 03:39 UTC 版)

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老洞須恵器窯跡
朝倉須恵器窯跡

老洞・朝倉須恵器窯跡(おいぼらあさくらすえきかまあと)は岐阜県岐阜市芥見の諏訪山西麓にある須恵器の窯跡群。西北側の老洞古窯跡群と南西側の朝倉古窯跡群に大別される。岐阜市、各務原市および関市に分布する美濃須衛窯跡群の支群でその西端に位置する。国の史跡に指定されており、出土物の一部は考古資料として重要文化財に指定されている。

昭和42年(1967年)朝倉古窯跡から美濃国の刻印のある須恵器が発見される。さらに昭和52年(1977年)11月に地元の中学生が老洞で美濃国の文字がある須恵器の陶片を発見した。翌年に岐阜市教育委員会が調査を行った結果、発見地が須恵器の窯跡であったことが明らかになった。その後の調査によって朝倉古窯群は4基以上、老洞古窯群は3基の窯から構成されていることが判明した。これらは7世紀末から8世紀前半の飛鳥時代後期から奈良時代初頭にかけて稼働していたとみられ、老洞古窯群においては最も古い窯が3号窯で、その後1号窯、2号窯の順に構築されたことが判明している。窯跡の天井部は崩落して残っていないが、半地下式の登り窯であったことが分かっている。窯の規模は老洞1号窯が奥行きが9.3m程度で幅は1.3mあった。出土品の大半は須恵器の坏であるが、などのほか、一部土師器もみられ出土物はすべて合わせると7万点を超える。須恵器の一部には美濃国あるいは美濃の文字が陽刻あるいは陰刻またはヘラ書きにより刻印されており、刻印に使用されたとみられる陶製の印章も発掘されている。

この窯で生産された美濃国の刻印のある陶器は平城京藤原京のほか美濃国分寺伊勢斎宮跡、愛知県大阪府長野県常川遺跡でも出土している。美濃国を除いて令制国の国名が刻印された須恵器は出土しておらず、生産地が明らかなことから、古代における流通をたどることのできる貴重な資料となっており、昭和54年(1979年)5月31日に国の史跡に指定された。刻印須恵器の出土から朝廷向けに生産された美濃国衙と関係の深い施設であったとみられる。

窯跡のうち老洞一号窯跡からは刻印のある須恵器が1300点ほど出土し、さらに刻印に用いられた印章もみつかっている。これらの出土品は平成5年(1999年)に重要文化財(考古資料)に指定され、岐阜市歴史博物館で保管されている。

参考文献

  • 岐阜県 岐阜県史 考古資料 p800-803 2003年
  • 船橋正 岐阜県の文化財 p261 1998年

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