綸巾・羽扇とは? わかりやすく解説

綸巾・羽扇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)

三国志演義の成立史」の記事における「綸巾・羽扇」の解説

諸葛孔明は『演義』において、初登場第38回から死去する104回まで、「羽扇」を持ち「綸巾」をかぶり「氅」をまとう道士的な姿で通している。羽扇の羽で作られた扇であり、綸巾は帽子で、現在では『演義』の影響により、ともに諸葛孔明代名詞となっている。しかし『芸文類聚』巻67、裴啓『語』などに司馬懿諸葛亮評した言として「巾毛扇もて三軍指揮し」とある。毛扇は塵という鹿の尾で作った扇で、羽扇とは別物である。西晋代に清談を行う名士貴族によく使用された。 実は『演義成立以前は「羽扇綸巾」といえば、主に赤壁の戦いに向かう周瑜の姿を表す衣装であった史実赤壁の戦い主役周瑜であり、北宋詩人蘇東坡赤壁の戦いについて謳った赤壁賦』においても、周郎(=周瑜)は讃えられているが、孔明は全く登場していない。蘇東坡黄州流謫時に作った赤壁懐古」の小題をもつ詞『念奴嬌』でも、「遙想公瑾当年小喬初嫁了、雄姿英発、羽扇綸巾、談笑灰飛煙滅」と明らかに周瑜指して羽扇綸巾」の語が用いられている。 南宋時代入っても『念奴嬌』を受けて著名な文人周瑜の「羽扇綸巾」の詩や詞を残している。楊万里の詩『寄題元吉湖北漕司志功堂』(『誠斎集』巻23所収)で「又揮白羽岸綸巾」と謳われているのは周郎であり、趙以夫の詞『漢宮春次方時父元夕見寄』でも「応自笑、周郎少日、風流羽扇綸巾」と、周郎と羽扇綸巾がセットになっている。また孔明神仙として赤壁大活躍する『平話でも、まだ羽扇綸巾を身につけていなかった。 ところが、南宋の劉克荘が諸葛孔明について詠んだ詞では、蜀に攻め入る段階で「但綸巾指授」と、綸巾姿であることが謳われている。同じく南宋訔の『観武侯陣図』(『全宋詩』第33冊)にも「西川漢鼎倚綸巾」(西川は蜀のこと)という表現があり、石の『武侯祠』(『方舟集』巻五)では「綸巾羽扇人何在」と綸巾・羽扇がセットとして孔明衣装となっている。ただしこれらはすべて孔明入蜀する段階の姿を詠んだのであるこのように羽扇綸巾は赤壁の戦いにおける周瑜のぞけば入蜀以降時期限定孔明結びつきつつあった。しかし『平話以降赤壁の戦い孔明周瑜をしのぐ活躍見せて人気を得ると、周瑜意匠であったはずの羽扇綸巾も、孔明若い頃からの衣装として定着していくことになる。元代詩人薩都剌の『回風坡、弔孔明先生』(『雁門集』巻4)では、赤壁活躍する孔明に対して「綸巾羽扇生清風」と謳っている。このように元代後期以降は「羽扇綸巾」が周瑜から孔明代名詞へと変化した

※この「綸巾・羽扇」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「綸巾・羽扇」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。

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