経営母体の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 23:43 UTC 版)
1996年(平成7年)7月、岩手県沢内村(現・西和賀町)の村興し事業として、岩手県の住宅メーカー東日本ハウス株式会社(現・株式会社日本ハウスホールディングス)の創業者・中村功が東日本ハウスの子会社として銀河高原ビール株式会社を設立し、村内のリゾート施設で地ビールの製造・販売を始めた。 1990年代半ばの地ビールブームに乗って事業を拡大させ、1997年(平成9年)7月に飛騨高山工場(岐阜県高山市新宮町3369)と阿蘇白水工場(熊本県阿蘇郡白水村一関1366)を開設し、それぞれに銀河高原ビアレストランを併設した。1998年(平成10年)7月には那須工場(栃木県那須郡那須町大字高久甲4453-49)を開設し、那須ビール園を併設した。 地ビールブームが沈静化した2001年(平成13年)、那須工場はOEM生産に転換し、飛騨高山工場と阿蘇白水工場を閉鎖する。 2001年12月に会社分割を実施して、新たに銀河高原ビール株式会社を設立すると共に旧銀河高原ビール株式会社を高原販売株式会社と会社名を変更して特別清算した。 その後も黒字化には至らず、2005年(平成17年)に再び会社の清算を決定し、2006年3月に東京地方裁判所より特別清算の開始決定を受けた。負債総額は126億円。ブランドや製造販売などはOEM生産元でもあった関連会社の東日本沢内総合開発株式会社(岩手県和賀郡西和賀町)が承継し、那須工場と併設する那須ビール園は閉鎖となった 2010年(平成22年)2月1日付で、商号を東日本沢内総合開発株式会社から株式会社銀河高原ビールに変更した。さらに2011年12月21日には株式交換により東日本ハウス株式会社の完全子会社となった。 2017年9月28日、日本ハウスホールディングスは保有する全株式をクラフトビール最大手のヤッホーブルーイングに同年10月31日に譲渡することを取締役会で決議した。
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