紛争初期のマリ軍
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「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「紛争初期のマリ軍」の解説
マリ北部に展開しているマリ軍はガオに司令部を置いていた。ポジョグー国軍参謀総長(Poudiougou)は首都バマコにて反乱に対して戦闘を調整している。アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領はキダル州に事務所を設けて情報を得ている。陸軍参謀総長カリファ・ケイタ将軍(Kalifa Keïta)と空軍参謀次長ワリ・シソッコ(Wali Sissoko)はガオに地方司令部を設け、エル・アジ・ガモウ先任大佐(El Hadj Gamou)を派遣し、トゥアレグ人でモプティ軍管区司令官であったモハメド・ウルド・メイドゥー(Mohamed Ould Meidou)をガオ軍管区司令官に着任させ事態にあたる。 彼らの指揮下で12月下旬に千人規模の部隊を展開させる。また、マリ軍当局の下でアラブ人とトゥアレグ人の民兵も結集し支援をする。マリ国防省高官であるムバレク・アグ・アクリー中佐(Mbarek Ag Akly)は、軍は4×4のBRDM型偵察装甲車や南アフリカ製のRG-31 ニアラ装甲車の他、Mi-24戦闘ヘリコプター2機を有し、保守整備のために幾人かウクライナ人がおり、偵察機もある。アメリカ合衆国は軍民双方にわずかながらも兵站を提供している。一部のトゥアレグ人兵士は軍を脱走しMNLAに参加していると述べる。 2012年4月、推定ではマリ軍は将軍連や大佐連の合わせて50人を含め総員22,000人と見られる。当時、2010年にリビアから提供されたアエルマッキ SF-260近接航空支援機2機があったが作戦投入可能な状態ではなかった。Mi-24戦闘ヘリコプター2機はウクライナ人パイロットが操縦していたが、2012年3月22日のクーデターの状況以降、無人状態となった。マリ空軍保有のバスラー BT-67輸送機もある。BRDM型偵察装甲車40台とBTR型装甲車40台は2010年に取得され、2012年の反乱で使用される。 2012年の紛争でアルハジ・アグ・ガモウ大佐(Alhaji Ag Gamou)率いる500人の部隊(トゥアレグ人396人含む)はニジェールに避難し、BRDM偵察装甲車8台とピックアップトラック77台を有している。
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