紋章と標語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:43 UTC 版)
紋章の模様は盾の下部に背景が黒い骸骨と塔型の城郭があり、その上に背景が白い赤十字と剣で構成されるシティ・オブ・ロンドンの旗が描かれていて、その赤十字の真ん中に金色のハープがある。そして盾の上に長(Chief)が描かれている。 紋章記述は次のようになっている: Sable, a human skeleton Or seated upon a mossy stone proper and in dexter chief a castle triple towered argent on a chief also argent a cross gules thereon a harp or and in the first quarter a sword erect gules ロンドンの紋章院やダブリンの系図学事務局(英語版)にある文書によれば、市の紋章は1613年にノロイ・アンド・アルスター・キング・オブ・アームズ(英語版)のダニエル・モリニューが承認したとしている。紋章院の文書にはデリーの紋章は「ye picture of death (or a skeleton) on a moissy stone & in ye dexter point a castle」だったが、同業組合による資金提供やロンドンデリーに市名が変更された年に初代市長が「ロンドンの長(chief of London)」を追加するように求めたとしている。 シティ・オブ・ロンドンの旗を帯びたロンドンの長が追加される前のデリーの旧紋章の意味に関する説は以下のとおり: 城郭はグリーンキャッスル(英語版)近くで14世紀にアングロノルマン人アルスター伯爵であるリチャード・デ・バーグ(英語版)が城主だった城と関連してるのではないかとされる。 最も有名な説として、骸骨は1332年に城の地下牢で餓死したデ・バーグという騎士を指していて上記に記しているデ・バーグのいとこにあたるアルスター伯爵の命令によって死に至ったという。別説では1608年にイングランド軍がデリーを包囲した後に死刑が処されたカヒール・オドハティ(英語版)(サー・チャールズ・オドハティ)を描いたとも言われる。ゲリマンダーやカトリック教徒への差別があった時代、デリーのローマ・カトリックはたびたび暗い機知として、骸骨は市議会から救ってくれることをここで待つことだと説明していた。 1979年、ロンドンデリー市議会はヘラルディック・バッジ(英語版)のデザイン過程の一環として市の紋章と記章に関して報告書に記載した。公開された報告書によれば、骸骨に関する通説には根拠がなく、「純粋なシンボルで、何れの実在人物を示すものではない。」としている。 1613年時点の紋章では十字の中心にハープが描かれていたが、後年の紋章や1952年、ロンドンデリー市に承認した紋章に関する特許状では削除されている。2002年、デリー市議会は紋章院にハープを復活させること、さらに2003年にガーター(英語版)及びノロイ・アンド・キング・オブ・アームズが17世紀に承認したパテント・レターが有効であることを申し入れた。 紋章にあるモットーはラテン語で"Vita, Veritas, Victoria"と表記されていて、英語では"Life, Truth, Victory"という表記に生る。
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