精神野球への傾倒
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飛田穂洲の精神野球にのめり込み、明治大学硬式野球部監督に就任すると、飛田に「一球入魂」の色紙を書いてもらい、監督室に飾っていた。 島岡の代名詞となった人間力という言葉は、1968年5月27日、明治-法政戦、9回1死、2対1、明治1点リードの場面で法政の4番田淵幸一・5番山本浩二を迎えた星野仙一投手に向けて、「いいか星野、ここまで来れば技術の問題じゃないんだ。お前と田淵幸一という男の人間対人間の勝負なんだ。つまりは人間力のある方が勝つ。」と何気なく造語を混じえて発したセリフが始まりである。 便所掃除など、人のいやがる仕事は1年に押しつけさせず、4年生にやらせた。 4年生の就職活動の際、各選手の志望企業すべてに島岡自身が赴き、教え子を自らひたすら推薦した(裏方・控え選手が最優先 であった) 試合に敗れた日、先発投手であった星野と共にパンツ1枚で雨中のグラウンドに正座し続けた。 星野と共に朝までグランドで座っていた。 星野が大学時代にトイレの掃除を一度だけサボったことがあり、島岡がそれを知ると星野をトイレに連れていき、星野を説教しながら島岡自らトイレの掃除を行った後「こんだけきれいにせんと掃除したとは言わせん」と便器を舐め、それを見ていた星野は「この人には何をしてもかなわない」としてひたすら謝罪したという。 以上のようなエピソードもあり指導方法は『島岡式人間力野球』と評された。星野は島岡のことを尊敬し、「自分は明治大学野球学部島岡学科出身だ」と語ることがあった(「明治大学野球学部投手学科」とも)。 またこれらのエピソードを基に、明治大学野球部監督時代を描いたドラマ「泣けたぜ!おやじ・明大島岡監督物語」が、1987年12月にフジテレビ系で放映された。 早明戦でエラーした平田勝男に試合後、合宿所にて「パンツ1枚になって、グラウンドの神様に謝ってこい」と命じた。平田は指示通り夜間1人で練習グラウンドの遊撃手の守備位置に本塁方向に向かって正座し、「グラウンドの神様、申し訳ありません」と何回となく謝罪し、1時間して戻ってきた。だが島岡は許さず「本当に謝る気があったら人間涙がこぼれる。その顔でひれ伏したら涙の流れたところに砂がつく。お前の顔は湯上がりのようにきれいだ。」と理由を述べ、もう一度行けと命じた。
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