精神錯乱とヨーク公の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 06:52 UTC 版)
「ヘンリー6世 (イングランド王)」の記事における「精神錯乱とヨーク公の台頭」の解説
8月にカスティヨンの敗報を受け、ヘンリー6世は精神疾患に陥り、自身の周りで起こっている事を全く認識出来なくなってしまった。これはその後1年間続き、エドワードと名づけられた息子の誕生(10月13日)にも反応出来なかった。ヘンリー6世のこの病は、おそらく母方の祖父で、その死の前の30年間にわたって断続的に精神錯乱を起こしたシャルル6世から遺伝していたと考えられる。ヘンリー6世が統治不能に陥るとサマセット公の独裁を恐れる評議会は直ちにヨーク公へ助力を要請、承諾したヨーク公は評議会入りして政権へ参加、政敵サマセット公を11月にロンドン塔へ投獄して自身が政権を握る一歩を踏み出した。 ヨーク公は下野していた間、ネヴィル父子(ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル、ウォリック伯リチャード・ネヴィル)という重要な同盟者を得ていた。ウォリック伯はもっとも影響力をもった大諸侯の1人であり、おそらくヨーク公自身よりも豊かであった。王妃は息子の王位継承権を守るため摂政就任を評議会に要求したが却下され、ヨーク公が1454年3月に護国卿として摂政の座に指名された。ヨーク公の支持者たちが「王子エドワードの父親は実はサマセット公だ」との噂を流している間、王妃は完全に排除され、サマセット公はロンドン塔に監禁され続けた。その他ヨーク公の摂政としての任期は、政府の支出超過問題の解決と、ソールズベリー伯ら支持者の官職任命に費やされた。
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