箱根土地主導での統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:07 UTC 版)
「西武バス飯能営業所」の記事における「箱根土地主導での統合」の解説
1930年代には各地で中小バス事業者の競争が激化するようになり、1933年(昭和8年)「自動車交通事業法」が交付され、交通企業の合理化と交通事業の統制を目的として一路線一事業者の原則が示された。こうした時勢化で各地でバス事業者の自主統合への機運が高まり、1936年(昭和11年)には現在の西武バスにつながる各路線でも鉄道会社への統合が進んだ。 1932年(昭和7年)より、経営難に陥った武蔵野鉄道の経営に箱根土地が参加。1938年(昭和13年)には戦時統合のため「陸上交通事業調整法」が発布、戦時体制下での交通事業者の統合が進められ、西武においても箱根土地主導での統合が進められた。 青梅自動車は青梅電気鉄道(電化により青梅鉄道から改称)並行路線を同社に譲渡。その後、武蔵野鉄道は1930年代に青梅自動車を、1940年代には秩父自動車を買収し、青梅・飯能・狭山・秩父エリアに路線網を築くに至った。 また箱根土地の子会社である多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線の前身)は、親会社の路線拡大方針に従い中小バス事業者を買収したことにより、自社沿線のみならず、村山 - 箱根ケ崎 - 青梅、川越 - 豊岡町(現:入間市)- 箱根ケ崎 - 拝島の路線を手中に収めた上、西武バスの母体となった東浦自動車を傘下に収めることとなった。 武蔵野鉄道は1940年(昭和15年)に多摩湖鉄道を合併。戦時中は路線の休廃止や車両の代燃化なども余儀なくされた。終戦直後の1945年(昭和20年)9月22日、武蔵野鉄道が旧・西武鉄道(現在の西武新宿線の前身。母体は川越鉄道)を合併する形で西武農業鉄道が発足、翌1946年(昭和21年)11月15日には現社名の西武鉄道へ社名変更した。 詳細は「西武鉄道#歴史」を参照 バス事業の統合も箱根土地主導で行われ、1946年(昭和21年)3月に統合母体となる東浦自動車を武蔵野自動車と改称した上で、同年6月に西武農業鉄道へ統合された各鉄道会社のバス路線を譲受して一社に統合した。翌1947年(昭和22年)2月には本社を所沢へ移転し、同年11月に西武自動車へ社名変更、戦後の西武バスの歴史がスタートした。 詳細は「西武バス#沿革」を参照
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