第9軍の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:54 UTC 版)
第9軍は包囲される前、ゼーロウ高地戦で大損害を被っていた。包囲された直後、第9軍は1000門未満の火砲・迫撃砲、79両の戦車、150から200両の戦闘車両を所持、約80000名の兵力が存在していたと考えられている。第9軍は第11SS装甲軍団、第5SS山岳軍団、新たに編入された第5軍団が中核を成しており、さらにフランクフルト守備隊も含まれていた。また、第11SS装甲軍団は36両の戦車、第503SS重戦車大隊は14両のティーガーIIを保持していると報告されている。4月25日、26日には空路補給が試みられたが、輸送機が補給ポイントを発見できなかった為、失敗に終わった。 第1白ロシア方面軍と第1ウクライナ方面軍によって第9軍が追い込まれたのはフュルステンヴァルデ/シュプレー(ドイツ語版)の東南のシュプレーの森と湖沼地帯だった。ソ連軍はベルリンの主目標の包囲と突破のため、ポケットに押し込んだ残存戦力の掃討に向かった。4月25日午後、ソビエト第2親衛騎兵軍団、第3軍、第33軍、および第69軍はジューコフの命令で東北方向から第9軍を攻撃した。コーネフは、第9軍がベルリン-ドレスデン間のアウトバーンをトイピッツ湖(英語版)付近で西へ血路を開こうとしていることに気付いていた。そこでジューコフが攻撃を開始した日、コーネフはベルリン-ドレスデン間のアウトバーンを封鎖するために第28軍とそれを支援する第3親衛軍を送った。
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