第2期カルテット時代とは? わかりやすく解説

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第2期カルテット時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 00:24 UTC 版)

矢代俊一」の記事における「第2期カルテット時代」の解説

結城の死とバンド解散乗り越えることができなかった矢代は、再び日本離れニューヨークへ渡ったライブ活動再開し2枚アルバム発表した27歳の頃から、矢代音楽性さまざまな方向へと発展見せオーソドックスジャズからフリージャズロックかゴスペルまで、同じ人物の作品とは思えないほどにバラエティ富んだ作品次々と生み出すこととなった32歳の時、ニューヨークで知り合い2枚アルバムなどで共演したゴスペル・シンガーのテディ・ベイカーと結婚した当時テディ重度麻薬中毒であったため、結婚当初数ヵ月は、テディ故郷であるボストンテディ中毒治療にあたっていた。テディ治療終了したのち、テディ伴って帰国した日本戻った矢代は、金井恭平マネージャーであった北原事務所『ニュー・オリエンタル・グルーヴ』に所属し間もなくして第2期矢代俊一カルテットサックス矢代俊一ピアノ高瀬彰ベース佐久間将大ドラム槙翔一郎)を結成して日本での活動再開した。このカルテットでの活動数年続いたが、高瀬との音楽的な方向性違いや、佐久間力量不足などが災いし第1期比較すると、その評価はあまり芳しいものではなかった。 だが、矢代自身評価と人気は相変わらず高く、「水郷ジャズ・フェス」、「と泉のジャズ・ウィーク」などへの出演はじめとするライブ活動精力的に行うかたわらトレンディドラマ挿入歌作曲や、往年のアイドル歌手今西良アルバム作曲演奏などの活動行っていた。 35歳の時、矢代プライベート大きなトラブル見舞われた。矢代気付かないうちに、妻のテディ麻薬中毒再発し、それが原因麻薬取引トラブル巻き込まれテディが、マフィア惨殺されという事件が起こったのだ。それに関連して矢代もまた台湾系のマフィア拉致監禁され暴行受けた。その直前16年ぶりの再会果たしていた滝川の手により救出されたものの、肋骨骨折など全治6ヶ月重傷負い、肺にも損傷負ったため、サックス演奏がしばらく不可能になってしまった。さらに、矢代大学後輩にあたるベーシストの泉からストーカー行為を受け、退院後初のステージとなった日比谷野外音楽堂でのジャズ・フェスティヴァル(矢代シンセサイザーのみを演奏しサックス代役金井恭平務めた)の際に、泉に刃物襲撃されるという事件も起こった。(『黄昏ローレライ』) プレイヤーとしてのキャリアは1年ほどの中断余儀なくされたものの、この間精力的に作曲活動行いシンセサイザーのみで構成されアルバム『隊商都市』などを発表した。だが、第2期矢代俊一カルテットについては、高瀬前衛的なジャズ志向するバンド結成し佐久間アメリカ音楽修業に出かけたために、解散することとなった

※この「第2期カルテット時代」の解説は、「矢代俊一」の解説の一部です。
「第2期カルテット時代」を含む「矢代俊一」の記事については、「矢代俊一」の概要を参照ください。

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