第1回世界探検旅行(1912 - 1914)
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1911年9月頭山満について東京を出発。頭山が帰京後も上海に残り、一度帰国して1912年10月九州横断、1913年1月に沖縄に着いた。旅費がないので、小冊子や絵葉書を売りながら旅行した。1913年2月シンガポールに着く。同地では浴衣、脚絆、草鞋にステッキを付き、破帽をかぶって町を散歩したので、同地の子供が「サムライ、サムライ」とはやし立てたという。マレー半島を単身北上。象やサルが襲ったが撃退した。中国人とトラブルを起こしたが、成功している邦人、武藤商会主武藤いし子に助けられた。ビルマでは遍歴僧に化け3か月滞在した。インドのカルカッタ、シムラ、に行った。同地では、ヒマラヤ山脈を望み、チベットにいこうとしたが、冬季のために断念。カラチ、ボンベイなどを経て、ダールの砂漠を現地人を雇い、ラクダに跨って超えた。インドとペルシア国境では護身用の短刀をもっていたので、警察に拘引され、投獄される。海千山千の邦人佐藤トミ子に助けられる。スマトラに船で行った以外はほとんど徒歩で旅行した。英語はできたが、英語圏でない土地を無銭旅行したというが、或る程度金はもっていただろう、その金は頭山満からでただろうと、本の著者若林純は推定している。1914年1月シンガポールに戻る。帰国後、万朝報、報知新聞、国民新聞、大阪朝日新聞、東京朝日新聞などに、「踏破3万五千哩」、「日本人を歓待する南洋諸島、無銭旅行者菅野氏の談」、などの題で取り上げられた。
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