第1回世界探検旅行とは? わかりやすく解説

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第1回世界探検旅行(1912 - 1914)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 13:42 UTC 版)

菅野力夫」の記事における「第1回世界探検旅行(1912 - 1914)」の解説

1911年9月頭山満について東京出発頭山帰京後上海残り一度帰国して1912年10月九州横断1913年1月沖縄着いた旅費がないので、小冊子絵葉書売りながら旅行した1913年2月シンガポールに着く。同地では浴衣脚絆草鞋ステッキ付き破帽かぶって町を散歩したので、同地の子供が「サムライサムライ」とはやし立てたという。マレー半島単身北上。象やサル襲った撃退した中国人トラブル起こしたが、成功している邦人武藤商会武藤いし子に助けられた。ビルマでは遍歴僧に化けか月滞在したインドカルカッタシムラ、に行った同地では、ヒマラヤ山脈望みチベットにいこうとしたが、冬季のために断念カラチボンベイなどを経てダール砂漠現地人雇いラクダに跨って超えたインドペルシア国境では護身用短刀をもっていたので、警察拘引され投獄される海千山千の邦人佐藤トミ子助けられるスマトラに船で行った以外はほとんど徒歩旅行した。英語はできたが、英語圏でない土地無銭旅行したというが、或る程度金はもっていただろう、その金は頭山満からでただろうと、本の著者若林純推定している。1914年1月シンガポールに戻る。帰国後、万朝報報知新聞国民新聞大阪朝日新聞東京朝日新聞などに、「踏破3五千哩」、「日本人歓待する南洋諸島無銭旅行者菅野氏の談」、などの題で取り上げられた。

※この「第1回世界探検旅行(1912 - 1914)」の解説は、「菅野力夫」の解説の一部です。
「第1回世界探検旅行(1912 - 1914)」を含む「菅野力夫」の記事については、「菅野力夫」の概要を参照ください。

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