第二次・第三次マラーター戦争と藩王国化とは? わかりやすく解説

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第二次・第三次マラーター戦争と藩王国化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:36 UTC 版)

マラーター王国」の記事における「第二次・第三次マラーター戦争と藩王国化」の解説

しかし、バージー・ラーオ2世締結したバセイン条約マラーター王国領土割譲約しており、マラーター諸侯はこれに反感持った。そのうえ、シンディア家マラーター同盟内の問題イギリス介入してきたことに脅威覚え宰相府から離れた1803年8月マラーター諸侯シンディア家、ボーンスレー家、ホールカル家イギリスとの間に戦端開かれ第二次マラーター戦争勃発した。だが、同年12月にボーンスレー家とシンディア家領土割譲する形で講和し、ホールカル家戦い続けたものの、1805年12月講和した。イギリスはこの戦争諸侯から広大な領土割譲を受け、その領土は「征服領土」と呼ばれた1814年マラーター王国ヴァドーダラーガーイクワード家アフマダーバード領有をめぐり紛争起こし、その調停イギリスによって行われたが、1815年宰相バージー・ラーオ2世家臣ガーイクワード家使者殺害してしまった。 しかし、1816年9月にこの家臣脱獄しバージー・ラーオ2世彼に資金援助しシンディア家ダウラト・ラーオ・シンディアホールカル家マルハール・ラーオ・ホールカル2世に対して挙兵してイギリス共同立ち向かうこと提案した。 この動きはまもなくイギリス察知され1817年6月13日バージー・ラーオ2世に対して新たな条約プネー条約押し付けた。これはイギリス当時押し進めていたインド諸侯藩王国そのものであり、形式上においても実質的においてもマラーター同盟解体認めさせるのだった。 こうして、バージー・ラーオ2世イギリスとの戦争決意し同年11月5日プネー近郊カドキーのイギリス駐在官邸将軍バープー・ゴーカレーに襲わせた(カドキーの戦い)。ここに第三次マラーター戦争始まった。 この戦争にはシンディア家ホールカル家、ボーンスレー家なども参加したが、イギリスによって短期間のうちに制圧されそれぞれ1818年初頭までに講和条約結んで降伏した同年1月バージー・ラーオ2世コーレーガーオンイギリス敗北したのち(コーレーガーオンの戦い)、その勢力減退し2月にはバープー・ゴーカレーが戦死した。それでも、彼は不利ながらもイギリス戦い続けた。 しかし、同年6月3日バージー・ラーオ2世イギリス降伏し第三次マラーター戦争終結した。これにより、マラーター同盟崩壊し宰相政権同時に崩壊した

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