第二幕 剣鬼喇嘛仏
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佐々木小次郎を倒した宮本武蔵は、巌流島からの帰路、小舟の上で観音の木像を彫っていた。そんな武蔵の前に、長岡与五郎が現れ、果し合いを挑む。海上での2人の決闘は、二刀を用いた武蔵の勝利に終わる。海に落とされた与五郎は去っていく武蔵を見送ることになるが、彼の目の前には武蔵が彫った観音の木像が浮かんでいた。細川家は徳川家に恭順の意志を表すために、与五郎を人質に出すことを決めたが、江戸への途中で与五郎は出奔する。 2年後、諸国放浪の武者修行を行っていた与五郎が小倉に戻ってくる。与五郎は武蔵が大坂にいると聞き大坂の役直前の大坂城へ行くことを望む。細川家当主にして与五郎の父である細川忠興は御家存続のために孫を作ってから行くように説得をした。そこで、武術の腕の立つ細川家お抱えの忍者集団・青龍寺組の頭領の孫娘の登世が、与五郎の相手となった。 一夜明けてみると、与五郎と登世は結合したまま。頭領から施された秘術「歓喜喇嘛仏」によって、赤子が産まれてくる以外には、登世が死んでも離れないという状態になったのだ。それでも武蔵と仕合うのを望む与五郎に、登世も協力を申し出て、結合したまま大坂へと向かう。一方、嫡子である与五郎が豊臣方に味方するのは細川家としての立場上まずく、青龍寺組は討手を差し向けるも、与五郎と登世に撃退される。 大坂城に着いた与五郎と登世は、城内にいた宮本武蔵と再会する。……が、2人の姿を見て武蔵は唖然。再戦の申し出は、赤子が産まれて、2人が分離してから……ということに話が落ち着く。剣名に高い武蔵であったが、配下がいないため大坂城では冷遇されていた。与五郎は自ら武蔵の配下を名乗り奮戦するも大坂冬の陣は終わる。与五郎と登世の間には赤子が産まれて2人は分離できたが、武蔵はいずこかへと去っていた。武蔵を追って大坂城を出ようとする与五郎に対し、登世は赤子と共に大坂城に残ることを告げた。与五郎が大坂城を出た後に大坂城は大坂夏の陣で落城。城内に残っていた登世は重傷を負っていたが、千姫に見つけられ赤子ともども大坂城から脱出する。一方、与五郎は武蔵との再戦を行わず、瓦礫と化した大坂城で正気を失ったように登世を探していたところを青龍寺組の忍者たちに連れ去られる。 廃寺で青龍寺組の忍者たちに囲まれて切腹しようとする与五郎の前に、赤子を背負って傷だらけの登世が現れ、2人は泣き崩れながら抱き合った。 青龍寺組の忍者たちは与五郎が切腹したものとし、与五郎と登世と赤子はいずこかへと去って行った。
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