第三帝国最後の首相(代行)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 08:11 UTC 版)
「ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク」の記事における「第三帝国最後の首相(代行)」の解説
詳細は「フレンスブルク政府」を参照 第二次世界大戦末期の1945年4月21日にソ連軍が迫るベルリンを脱出。その後ヒトラーはベルリンの地下壕内で遺言書をしたため、海軍総司令官カール・デーニッツ元帥を大統領に、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスを首相に、そしてフォン・クロージクを財務相に指名して4月30日に自殺した。 しかし、デーニッツはヒトラーの遺言を無視して自ら首脳陣を選出し、軍需相アルベルト・シュペーアの強い推薦で、フォン・クロージクを臨時政府の首相代行(筆頭閣僚)兼外相に指名した。ちなみに、ヒトラーの遺言で外相に指定されていたのは、アルトゥル・ザイス=インクヴァルトである。 ただし降伏直前の混乱の中でのことであり、実質的な職務も権限もほとんどなかったが、デーニッツに「条約による降伏」を薦めるなどを行っている。なお彼は5月2日にドイツ国民に対するラジオ演説で、ゲッベルスの原稿から引用する形で「鉄のカーテン」について言及したが、これはこの言葉が広まるきっかけとなったウィンストン・チャーチルのフルトン演説(1946年3月)よりも早い使用例である。
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