第三帝国下の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:14 UTC 版)
「フンボルト大学ベルリン」の記事における「第三帝国下の状況」の解説
1933年にナチスが政権をとりヴァイマル共和国が事実上崩壊すると、ドイツの他の大学同様、ナチスの教育機関と化した。この年の5月10日には、大学前のオペラ広場(現在のベーベル広場)において、20,000冊に及ぶ大学図書館の書籍が、退行的・体制批判的として、ヨーゼフ・ゲッベルス指導の下、SAの監視下焚書された。現在、この行為のモニュメントが広場の中央に建てられており、20,000冊分の空きをもった書架とハインリヒ・ハイネの作品からの以下の一節が記されたプレートを見ることができる。 "Das war ein Vorspiel nur, dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man am Ende auch Menschen"(これは、序章に過ぎなかった。本を焼く所は、遂には、人をも焼くのである) 1933年から1934年にかけて、公務員法(ドイツ語版、英語版)("Gesetz zur Wiederherstellung des Berufsbeamtentums" 略称:Berufsbeamtengesetz (BBG))により、約250人のユダヤ系の教授等が解職・解雇され、多くの学位が廃された。学生や研究者もナチスに抗するものは容赦なく放逐され、この時期にスタッフの約1/3は解雇されたと見られる。
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