第三帝国の影で(1933-1945)
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「ガブリエレ・ミュンター」の記事における「第三帝国の影で(1933-1945)」の解説
ナチスが1933年に政権を握ると、現代芸術への政治的弾圧がはじまった。1920年代半ばからドイツ造形芸術家連盟に所属していたミュンターは自動的に帝国造形芸術院の会員に組み込まれた。この時期にオリンピア通りの建設をテーマとする絵画の習作を制作、1936年には「芸術におけるアドルフ・ヒトラーの道」展に出品している。翌1937年、ドイツにおける芸術文化環境がますます厳しくなる中、ミュンヘン芸術協会(de)でミュンターの作品が何点か展示された。これがその後12年間で最も大きな彼女の展覧会となった。同年ミュンヘンで「頽廃芸術展」が開かれ、ミュンターもアイヒナーを伴ってこれを訪れている。戦時中ミュンターはアイヒナーとともにムルナウに籠り、つつましく暮らした。展覧会への出展は禁じられた。ミュンターは花をモティーフにした静物画をおもに描き、それを売ったり食べ物と交換したりした。1944年12月13日、カンディンスキーが亡命先のパリ近郊ヌイイ=シュル=セーヌで亡くなった。第三帝国時代にミュンターは、ムルナウの家の地下室にカンディンスキーの作品を隠して庇護し続けた。
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