第一次世界大戦時におけるマギル大学
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「マギル大学」の記事における「第一次世界大戦時におけるマギル大学」の解説
第一次世界大戦時、マギル大学は重要な役割を担った。1914年、国中を席巻した愛国心の高まりの中で、多くの学生や卒業生は兵役に志願した。しかし、イーペル(Ypres)で大量のカナダ人戦死者が出た後、1915年の春、カナダ連隊の創始者でモントリオールの富裕実業家であったハミルトン・ゴールト(Hamilton Gault)は深刻な隊員不足に直面した。彼は在宅の友人に支援を働きかけ、200名以上が兵卒から昇進し、戦争中より多くが兵士として従事した。戦後にカナダに帰還したジョージ・マクドナルド少佐およびジョージ・キューリ少佐(Major George McDonald and Major George Currie)はマクドナルド・キューリ会計事務所を立ち上げ、それはのちにプライスウォーターハウスクーパース(Price Waterhouse Coopers)の創立メンバーの一つとなった。パーシヴァル・モルソン大佐(英語版)は1917年に戦死した。マギル大学のパーシヴァル・モルソン記念スタジアム(英語版)は彼の栄誉から名づけられた。 戦争記念館(War Memorial Hall)はマギル大学キャンパスのランドマークである。慰霊式典においてカナダ総督(ハロルド・アレグザンダー(初代チュニスのアレグザンダー伯爵))が記念館の定礎石を置いた。1946年10月6日、戦争記念館と隣接する記念プールに、第一次・第二次世界大戦で志願して戦死した誉れ高き学生たちに捧げられた。戦争記念館には、チャールズ・ウイリアム・ケルシー(英語版)によって作成された第一次世界大戦と第二次世界大戦の連隊章を型取った2枚のステンドグラスがある。 また、チャールズ・ウイリアム・ケルシーによって大天使ミカエルと陸海空軍の軍章が装飾された一窓(1950年)が戦争記念館にある。ブラッカダー・ロターマン建築学芸術学図書館(Blackader-Lauterman Library of Architecture and Art)のエントランスには聖ジョージと討伐されたドラゴンを描いた第一次世界大戦記念窓があり、第一次世界大戦で命を捧げたデルタ・ユプシロン(英語版)マギル支部の23名に捧げたものである。戦争記念館の西壁にあるその他6枚の窓は、チャールズ・ウイリアム・ケルシーよって、マギルの卒業生がメンバーであった連隊の紋章が描かれている(1951年)。 大理石の上に置かれているカナダのリメンバランス・ブック(Book of Remembrance)には両世界大戦での戦没者の名前が書かれている。2012年11月11日、マギル・リメンバーズ(McGill Remembers)というウェブサイトが立ち上がり、マギル大学世界大戦記事務局が1940から1946年の間、第二次世界大戦のマギル学生、職員、教員に関する文書を収集した。
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