第一次フィティアル政権
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「ベニグノ・フィティアル」の記事における「第一次フィティアル政権」の解説
2005年、誓約党から知事選に出馬。副知事候補はティモシー・P・ヴィラゴメス。総投票数の28.1%を獲得し、無所属のヘインズ・ホフシュナイダーと共和党現職のフアン・ババウタを破った。2位のホフシュナイダーとの票差は99票で、知事選の最小票差勝利を記録した。フィティアルは、北マリアナ諸島で初めて選出されたカロリン系の知事だった。カロリン人はカロリン諸島の先住民であり、現在マリアナ諸島北部に住んでいるカロリン人の祖先の多くは19世紀初頭に現在のミクロネシア連邦のヤップ島とチューク島から移住してきた。北マリアナ諸島の歴代知事は全て先住民のチャモロ人であった。 フィティアルは、知事としての任期中、予算不足、景気低迷、日本の観光業衰退などの課題に直面。いくつかの政府機関の自治権を廃止し、機能を行政に移管するなどの政策を行った結果、知事に権力を集中させているとの批判を受けた。 2006年には、腰部脊柱管狭窄症の治療のため、ロサンゼルスの病院に入院し手術を受けた。 ティモシー・P・ヴィラゴメス副知事は、詐欺や贈収賄の容疑で刑事告発され、有罪判決を受けた後、2009年4月24日に辞任した。ヴィラゴメスは、副知事として初めて刑事裁判で有罪判決を受けた。この前代未聞の事態にフィティアル知事は3日後の4月27日、CNMI財務長官のエロイ・イノスを副知事に指名した。フィティアルとイノスは、太平洋諸島信託統治領時代、共に政府の役人を務め、面識があった。5月1日、上院議員の9名全員による投票の結果、満場一致で承認され、イノスは副知事に就任した。公選を経ずに副知事が就任したのは、1978年に自治領としての北マリアナ諸島が成立して以降初のことであり、4月24日から5月1日までの間、副知事の不在が生じたのも史上初のことであった。
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