第一次パーマストン子爵内閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)
「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「第一次パーマストン子爵内閣」の解説
次の首相はパーマストン卿以外は考えられないというのが一般的な評価だった。パーマストン卿はフランスとの同盟維持に不可欠な人材であったうえ、国内的にも彼は第二次世界大戦中のチャーチルのごとく戦争遂行の象徴的人物になっていたためである。 パーマストン卿を嫌うヴィクトリア女王は保守党党首ダービー伯爵、ホイッグ党貴族院院内総務ランズダウン侯爵、ラッセルの順に大命を与えていったが、三人ともパーマストン卿とピール派の協力を得られなかったために組閣できなかった。パーマストン卿は首相を狙える立場であるから、彼らの内閣の外相に甘んじる必要がなく、全員からの入閣要請を拒否したのである。 ランズダウン侯爵がパーマストン卿を次の首相に推挙するに及んで女王も抵抗を諦め、2月6日にパーマストン卿に組閣の大命を与えた。70歳にしての首相就任であり、この時点では歴代最高齢での首相就任だった(後にグラッドストンに抜かれる。ただし初めて首相に就任した年齢の比較では現在でもパーマストン卿が歴代最高齢である)。 内閣成立直後にピール派閣僚数名が閣外に去ったが、基本的に内閣はこれまで通りのホイッグ党・ピール派・急進派の連立政権だった。
※この「第一次パーマストン子爵内閣」の解説は、「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の解説の一部です。
「第一次パーマストン子爵内閣」を含む「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事については、「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の概要を参照ください。
- 第一次パーマストン子爵内閣のページへのリンク