第一次ピール内閣陸軍・植民地省政務次官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「第一次ピール内閣陸軍・植民地省政務次官」の解説
先の総選挙で陸軍・植民地省政務次官(英語版)が落選したため、ピールは、父が植民地大地主で植民地問題に造詣が深いであろうグラッドストンをその後任にした。当時の陸軍・植民地大臣は貴族院議員アバディーン伯爵だったため、グラッドストンは庶民院における陸軍・植民地省の代表者となった。 新議会が召集されると野党ホイッグ党党庶民院院内総務(英語版)ジョン・ラッセル卿が、アイルランド国教会の収入を国教会以外の目的にも使用するべきとする動議を提出したが(アイルランド人はカトリックが多数派だが、アイルランド国教会に教会税を納めさせられていたため、強い反発が起こっていた)、与党保守党はこの動議に反対した。グラッドストンもアイルランドにおける国教会制度を崩壊させるものとして反対演説を行った。しかしこの動議は1835年4月7日に可決されたため、ピール内閣は総辞職に追い込まれた。グラッドストンも就任から三カ月で陸軍・植民地省政務次官を辞することとなった。 代わってホイッグ党党首メルバーン子爵に組閣の大命があり、第二次メルバーン子爵内閣(英語版)が発足した。この政権は1841年まで続き、その間保守党は野党となった。 [先頭へ戻る]
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