竹取物語の研究とは? わかりやすく解説

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竹取物語の研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 05:20 UTC 版)

新井信之」の記事における「竹取物語の研究」の解説

新井昭和13年(1938年)、東京帝国大学文学部国文科在学時に卒業論文として竹取物語本文研究を行うことを決意する池田亀鑑反町茂雄協力のもと調査・研究行い、翌14年(1939年)に卒業論文「竹取物語の研究」を提出。その翌15年(1940年)に国文学者横山重知り合う横山同じく国文学者である太田武夫、実業家蔵書家でもあった戸川浜男らの協力得て全国散在する竹取物語諸本調査し勤務傍ら昭和17年(1942年)秋から調査資料整理、および新井重要だ判断した七本翻刻開始した。しかし翌18年(1943年)6月新井突如病に倒れ慶應義塾大学病院入院する病床新井死に直面して無気力状態にあり、横山成果刊行するよう要請して当初乗り気でなかったが、再三要請刊行決意し横山太田一切依頼した横山は、横山らが校正作業太田解題執筆にあたることで、新井自身後記書くことのみに専念できるように計らったまた、この過程で更に新出三本本文が加わる。昭和19年(1944年)4月3日書かれ後記の中で、新井は「衷心忸怩たるものがある」と自身無力嘆いている。時は太平洋戦争末期確保した印刷用紙盗難遭うなどの紆余曲折を経ながら、横山関係者刊行のために奔走するも、後記執筆翌月5月4日新井はついに刊行を見ることなく病没した。こうして完成した『竹取物語の研究 本文篇』は、4ヶ月後の同9月刊行された。協力者との伝言であった新井の妹の光子は、協力者一人池田亀鑑同門国文学者中田剛直結婚し中田が竹取物語の研究資料継承昭和40年(1965年)に『竹取物語の研究 校異篇・解説篇』として結実したまた、山田忠雄著作である『竹取物語総索引』も、新井研究一環作成した資料が基になったものであり、本来は新井山田共編として『竹取物語の研究 索引篇』となる予定であったことが「序」に記されている。

※この「竹取物語の研究」の解説は、「新井信之」の解説の一部です。
「竹取物語の研究」を含む「新井信之」の記事については、「新井信之」の概要を参照ください。

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