空飛ぶ教皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 05:05 UTC 版)
「ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)」の記事における「空飛ぶ教皇」の解説
ヨハネ・パウロ2世は「旅する教皇」といわれたパウロ6世を遥かに凌ぐスケールで全世界を訪問し、「空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)」と呼ばれるほどであった。最初の訪問国メキシコを皮切りに、1981年2月23日から26日までの日本訪問を含め、2003年9月に最後の公式訪問国となったスロバキアに到るまで、実に世界100ヶ国以上を訪問している。勉強熱心で飛行機の中などでも学習し、訪問先の言語で簡単な演説をすることで有名だった。 ヨハネ・パウロ2世は同年2月23日のローマ教皇として初の来日時には広島市と長崎市を訪れ、日本語で「戦争は人間のしわざです」「戦争は死です」と演説し、核兵器の廃絶を訴えた。 またヨハネ・パウロ2世は、キリスト教の平和と非暴力の教義と、第二次世界大戦中にドイツとソ連の侵攻により、故国ポーランドが焦土と化した実体験から、戦争に対しては一貫して反対の姿勢を取っていた。ポーランド人としてナチスと共産主義の脅威を体験しながらカトリックの信仰を守り抜いたことが、教皇就任後も反戦平和主義を貫く大きな動機となった。 イラク戦争中に2003年、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領が「神の加護を」「神の祝福あれ」と「神」を引用して戦争を正当化していたのに対し、ヨハネ・パウロ2世は「神の名を用いて殺すな」と不快感を示し、「イラクでのこの戦争に正義はなく、罪である」と批判していた。
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