積極的な外交活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:27 UTC 版)
「ジミー・カーター」の記事における「積極的な外交活動」の解説
大統領任期中は「人権外交」を標榜しながら大きな成果を上げられず、イラン革命やソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を許したが、大統領職を退任してからは1981年にカーターセンターを設立し、積極的な外交活動で知られている。 1994年核開発疑惑により朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とアメリカとの間で一触即発の危機に陥った折、ジェームス・レイニー駐韓アメリカ大使の要請を受け、アメリカ合衆国大統領経験者として初めて北朝鮮を訪問して金日成主席と会談した。北朝鮮の核開発凍結と査察受け入れで合意し、同年の米朝枠組み合意とつながっていった。しかしその後も北朝鮮は核兵器・弾道弾の開発を極秘裏に継続し、ついにはアメリカ本土を対象とした核攻撃計画まで表明するに至った。 2002年5月キューバを訪れ、同国指導者のフィデル・カストロと会談。1959年のキューバ革命とその後の関係悪化以来初めてキューバを訪問したアメリカ合衆国大統領経験者となった。 これらの功績により「数十年間にわたり国際紛争の平和的解決への努力を続け、民主主義と人権を拡大させたとともに、経済・社会開発にも尽力した」ことを評価され、2002年にノーベル平和賞を受賞した。 2010年8月26日再び北朝鮮を訪問し、同国への不法入国罪で服役していたアメリカ人男性のアイジャロン・ゴメスを釈放するよう交渉を行い、特赦。ゴメスと共に出国した。 2011年南部スーダン独立住民投票の監視に参加した。 2013年11月ジョージア州アトランタで中国人民対外友好協会と「米中関係年次フォーラム」を開催。中国メディアの取材にも応じ「中国と日本との問題解決にアメリカが介入する必要は無い」と述べ、米中が互いに尊重し合う「新たな大国関係」について語ったことなどを環球時報が伝えている。
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