祭神の変化とは? わかりやすく解説

祭神の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:40 UTC 版)

出雲大社」の記事における「祭神の変化」の解説

出雲国造新任時に朝廷奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命大国主大神)」「杵築宮出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式行っていた平安時代前期までの祭神大国主神であった。 やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗鰐淵寺と関係が深まり鰐淵寺杵築大社出雲大社)の神宮寺兼ねた鰐淵寺中心とした縁起中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた(本来国引き八束水臣津野命)ことから、中世のある時期から17世紀まで祭神素戔嗚尊であった14世紀当社大明神天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又大蛇割き凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社出雲大社)の由来記され1666年寛文6年毛利綱広寄進した鳥居刻まれ銘文には「素戔嗚尊雲陽大社神也」と記された。 さらには鰐淵寺僧侶が経所で大般若経転読行い社殿では読経もした。また、江戸時代初期には社僧寺社奉行杵築大社出雲大社)の運営管理に関する交渉実施していた。 ところが、杵築大社出雲大社)内は仏堂仏塔立ち並んで神事衰微したこのため1667年寛文7年)の遷宮に伴う大造営の時、出雲国造家神仏分離・廃仏毀釈主張して寺社奉行認められた。仏堂仏塔移築撤去され経蔵破却された。これに併せて祭神須佐之男命から、『古事記』『日本書紀』などの記述沿って大国主大神復した

※この「祭神の変化」の解説は、「出雲大社」の解説の一部です。
「祭神の変化」を含む「出雲大社」の記事については、「出雲大社」の概要を参照ください。

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