祭神とその伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/24 14:33 UTC 版)
祭神は源三位頼政(正一位頼政大明神)である。『古河志』・『許我志』に引用されている頼政神社縁起によれば、治承4年(1180年)の以仁王の挙兵において、源頼政が平氏に敗れて平等院鳳凰堂にて自害した後、従者が頼政の首を笈にいれて持ち帰ったところ、下総国葛飾郡古河の立崎(龍崎)で笈が急に岩のように重くなったため、この地に塚をもうけて祀ったとされる。このときの従者は、本縁起では「猪早太(いのはやた)」あるいは「下河辺総三郎」とされているが、該当する実存の人物は特定されていない。なお、『永享記』にも同様の記述があり、従者名が「下河辺三郎行吉」とされている。 一方、下野小山氏の菩提寺・天翁院にある小山氏系譜には、下河辺行義が頼政の首を葬ったとある。 同様に、頼政の首を葬ったとする伝承は、茨城県龍ケ崎市の頼政神社にもある。伝承の正確さは良く分からないが、かつての古河は下河辺氏の拠点であり、下河辺氏は源頼政の郎党であった。龍ケ崎地方の在地領主であった龍崎氏も下河辺氏の流れであった。
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