神格化される関羽
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「三国志演義の成立史」の記事における「神格化される関羽」の解説
正史『蜀書』における関羽の伝記は、巻6にまとめられた武臣の筆頭として収載されているが、その分量はわずか953字にすぎない。陳寿は、剛情で自尊心が高すぎるという関羽の短所も指摘しており、まだ神格化はされていない。裴松之はこれに761字の注釈を補うが、呂布の部下秦宜録の妻を娶ろうと曹操に懇願する好色な姿(『魏氏春秋』)も描かれている。南北朝期に発展した初期道教において、当時の道教の神々を整理した陶弘景の『真霊位業図』において、俗世で功績のあった人物が冥界の官吏として挙げられているが、劉備・曹操・荀彧・諸葛亮・司馬懿・徐庶などの名はあっても、関羽・張飛など武臣の名は見られない。ただし同じ陶弘景の『古今刀剣録』では、関羽が自ら山で鉄を取り「万人」と銘した刀を作ったという伝説を記す。 関羽が初めて神として祀られたのは唐代である。ただし道教ではなく仏教においてであった。玉泉寺(湖北省)で仏を守護する伽藍神となり、顕烈廟に祀られた。貞元18年(802年)に董挺が著した「重修玉泉寺関廟記」によれば、開山の智顗(天台宗開祖)が、当地で死んだ関羽の亡霊のお告げを得たとし、顕烈廟が玄宗代に建立されたことを記している。南宋の『仏祖統紀』では智顗の前に現れた関羽の霊が、仏法に帰依したいと請い、智顗が煬帝に奏して、関羽を「伽藍神(伽藍菩薩)」に封じたとしている。 一方、五代から北宋にかけて、道教では元帥神という武神の信仰が広まる(『道法会元』)。北方守護の趙元帥(趙公明)、東方の温元帥(温瓊)、西方の馬元帥(馬霊官)とともに、関羽は南方を守護する関元帥として四大元帥に数えられるようになる。元帥神は武器と騎乗動物がセットとして祀られ(趙元帥なら鉄鞭と黒虎)、青竜刀と赤兎馬の組み合わせができたものと考えられる(ただし道教の中で元帥神の地位は高くなかったため、明清期に関羽の地位がさらに高まると、次第に四大元帥からは外されるようになった)。
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