破産までの経緯
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2008年3月13日、同年3月期の連結業績予想を33億円の赤字に下方修正すると発表。需給環境の悪化で分譲マンションの販売が長期化した事などが原因。期末配当を無配とするほか、希望退職の募集等を行う方針を明らかにした。 同じ年の8月20日には、同業デベロッパーのグローベルスと合併で基本合意。2009年2月1日を目途に実施する事で一度は契約を結んだものの、事業環境の変化で中止となる。一方でダイア建設と提携を結んだり、子会社や資産の売却を進めるなど、再建に向けた取り組みを続けていた。 しかし、サブプライムローン問題とそれに続くリーマン・ショックの影響による同業者の経営破綻が相次ぐ中、銀行から資金調達できなかったために資産売却先より入金がされないなど、継続企業の前提に関する重要な疑義が注記されたアゼルもまた、資金繰りの目途が立たなくなり、2009年3月30日に自己破産を申請し、即日手続開始が決定された。
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破産までの経緯
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当時総務部長であった小住聿が、2000年6月に開かれる株主総会の対策をコンサルタント会社社長に依頼し、その謝礼金を支払ったとして商法違反(利益供与)の疑いで2002年2月13日に逮捕された。またこれに伴って2000年6月当時社長であった竹森哲男、次期社長であった大島肇まで各々同意があったとして逮捕された。この事件により信用不安が生じたことや、また債務超過であるとして、後任の青木寿社長は2002年5月10日に破産を申請したが、同日開かれた臨時取締役会において、4名の取締役のうち破産申請に反対した2名が大株主5名と破産宣告の差し止めを求める仮処分を申請。結局6月3日に破産宣告を受け、東証・大証の上場廃止日が8月11日から6月18日に変更された。 しかし2005年に清算結果が明らかになると、全社員に満額の退職金を支払い、負債を全額返済し、且つ約8億円の残余金を生じて株主に分配しており、債務超過ではなかったことが判明した。 その後、台湾のプレス機械メーカー子会社が営業権・浜松工場を取得。現在はSUMIKURA機械株式会社として、金属加工機械やプレス機械の製造を行っている。
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