破産に至る経緯
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2004年1月27日放送の『日経スペシャル ガイアの夜明け』(テレビ東京)「敗者復活~ベンチャー社長の再挑戦~」において、飯塚社長と伊豆田伸吾取締役、資本金10万円(当時)のバイ・デザイン株式会社が取り上げられ、創業当時の薄型液晶テレビ製造販売の戦略と苦闘が紹介されている。2005年12月期には年売上高約54億6,500万円を計上し、2006年12月期も好調を維持して年売上高約75億円を計上した。しかしその後は、従業員の前会社の機密漏えい訴訟によるアメリカ市場での販売中止や、大手メーカー製品の低価格化などにより、2007年12月期は年売上高約61億円で約5億円の最終赤字に転落。一方で、販売業務への特化を図るために業務提携を結んだゼンテック・テクノロジー・ジャパンの不適切経理問題も発覚した。 2008年5月、純粋持株会社化を図り「バイ・デザイン・ホールディングス」に社名を変更。薄型テレビ事業を継承した「バイ・デザイン」を新設分割し、拡大・激化する薄型テレビ市場で再スタートした。しかし、事業資金確保の苦戦などで販売は伸び悩み、2009年12月期も年売上高は約18億7,100万円と低迷。別ブランドでの販売やデジタルフォトフレームの販売で、一時は販売を伸ばしたが赤字は改善できず、支払いに支障をきたし2011年になってからは事実上営業を停止していた。 2011年1月26日、東京地方裁判所よりバイ・デザイン・ホールディングスとともに破産手続開始決定を受けた。両社とも費用不足のため破産廃止(バイ・デザイン・ホールディングス:2011年9月1日付、バイ・デザイン:2012年3月1日付)し、完全消滅した。
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