研究者の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:19 UTC 版)
1985年筑波大学医学専門学群卒業と同時に、同大学院医学研究科博士課程へ入学し、筋肉の生化学を研究していた眞崎知生教授に師事。分子生物学の技術を習得するため、岡崎の基礎生物学研究所へ1年間国内留学していた。 1987年、それまで従事していた筋肉の収縮タンパク質の分子生物学とは別に、自身のアイデアで血管内皮由来の血管収縮物質を探索するプロジェクトを立ち上げた。その成果を、内皮由来血管収縮因子エンドセリンとして1988年にNature誌に報告。この論文は現在までに1万回以上引用されている。1988年筑波大学大学院修了、医学博士。博士論文は「エンドセリンの発見」。この発見により多くの製薬会社がエンドセリン受容体拮抗薬の開発に着手。2001年にはアメリカで、2005年には日本でエンドセリン受容体拮抗薬ボセンタンが肺動脈性高血圧症の治療薬として承認されている。また同種の治療薬としてアンブリセンタン(承認日:米国2007年、日本2010年)やマシテンタン(承認日:米国2013年、日本2015年)も承認されている。 1989年筑波大学基礎医学系講師に就任。主任教授の眞崎知生の異動に伴い、1991年京都大学医学部講師に就任。
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