石碑その他とは? わかりやすく解説

石碑その他

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 04:30 UTC 版)

五稜郭」の記事における「石碑その他」の解説

武田斐三郎先生顕彰碑 郭内にある。1963年昭和38年)、五稜郭築城100周年記念して建てられた。題字太田堂で、彫刻家鈴木達が作った三郎レリーフがはめ込まれている。 一万号記念桜樹碑 1923年大正12年)、函館毎日新聞社五稜郭植樹し1万本に達したことを記念して建てられた。 巌谷小波の句碑 一万号記念桜樹碑の隣にあり、1915年大正4年)に建てられた。1913年大正2年)に作家巖谷小波が来道の際に詠んだ句「其跡や其血の色を艸の花」が刻まれている。 箱館戦争当時の大砲 五稜郭配備されいたものではないが、箱館戦争使用され大砲が2門、郭内展示されている。1門は、旧幕府軍が箱館占領中に構築した築島台場備え付けられた砲(英・ブラッケリー社製)で、もう1門は明治2年5月11日箱館湾海戦沈没した新政府軍軍艦朝陽」の砲(独・クルップ社製)である。 築島台場のブラッケリー砲。 朝陽クルップ砲藤棚 二の橋渡り郭内入った正面にあり、5、6月に見頃迎える。五稜郭公園開園当時園内食堂経営者が別の場所に植樹したもので、1920年以降函館市により現在地移設されたといわれる奉行所復元工事の際、同所表門があったとして、門の復元のため移設されそうになったが、市民保存運動により残された。 男爵芋の碑 裏門郭外にある。第二次世界大戦中男爵芋食料として市民飢えから救ったことを感謝して1947年昭和22年)に建てられた。 明治32年9月10日上野東照宮開かれた伊庭八郎偲ぶ会」でその出席者一人が「八郎君の墓は箱館五稜郭土方歳三氏の墓の傍らにあり。」と語った(『旧幕府3巻8号)。大正10年9月刊行片上楽天著『五稜郭史』は一本松土饅頭合葬地とし、伊庭八郎もその中に埋葬されたとしている。

※この「石碑その他」の解説は、「五稜郭」の解説の一部です。
「石碑その他」を含む「五稜郭」の記事については、「五稜郭」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「石碑その他」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石碑その他」の関連用語

石碑その他のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石碑その他のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの五稜郭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS