石碑の多い地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:19 UTC 版)
ルーン文字はゲルマン語圏の至る所で使われていたが、とりわけヴァイキング時代のスカンジナビアの人々がよく使った。 ルーン文字を使った古ノルド語の碑文は北ドイツのヘーゼビュー、ロシア、グリーンランド、北部スコットランド、マン島、イングランド、アイルランドの各地で見つかっていることから、「ルーン文字を彫刻する習慣」はノース人の移住と共に広がっていったことが分かる。例えばイスタンブールの有名なモスク アヤソフィアにもルーン文字の彫刻が見られる。この事実は、ヴァイキングの兵士とその文化が地中海南東部にまで及んでいたことを示している。デンマークで最も有名なルーン石碑は、デンマーク王ハーラル1世が両親に対して作ったイェリングの石碑である。 ただし、当時のヘーゼビューはドイツ領では無かった。これを示す証拠がヘーゼビュー近郊で見つかった黄金の角であり、これにはノルド祖語が、初期ルーン文字の古フサルク(en)で刻まれている。(「名誉ある客、ホルテの息子たる余がこの角を作れり。」1) 古ノルド語を話す民族は、彼らがキリスト教に改宗するずっと前、他のゲルマン人と同様に、自らの言葉を記す独自の文字を持っていた。それがルーン文字である。ルーン文字はヴァイキング時代が終わるまで数百年に亘って使われた。現在見つかっている最も古いルーン文字の銘は、西暦2世紀にまで遡る。この文字は今でもゲルマン語派の言語に影響を残しており、例えばThotn(Þ)という文字がアイスランド語の記述に使われている。また、ヴァイキング時代の何百ものルーン石碑にキリスト教に関することが銘されている。 現代でも、数は多くないが、ルーン文字の彫刻に芸術として取り組み、熟練する人々も存在する。 S・フィッシャー=ファビアン著『原始ゲルマン民族の謎 「最初のドイツ人」の生と闘い』片岡哲史訳、アリアドネ企画、2001年。p.133
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