知多瓦斯設立
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1889年(明治22年)、中部地方で最初の電気事業者として名古屋市に名古屋電灯が開業した。以後、同地方では主要都市に次々と電気事業が起業されていく。また1907年(明治40年)に名古屋瓦斯(東邦ガスの前身)も開業し、名古屋市では都市ガス供給も始まった。この時代の都市ガスの用途はガス灯が主力であったことから、ガス事業は灯火供給という点で電気事業と競合関係にあった。 知多半島東海岸に位置する知多郡半田町(現・半田市)では、ガス事業・電気事業ともに同時期に起業の動きがあった。まずガス事業を担う知多瓦斯株式会社は、1910年(明治43年)2月14日、半田町字西勘内に資本金50万円(うち12万5000円払込)で設立された。この時期、日本全国でガス会社の設立が相次いでおり、名古屋瓦斯も各地のガス事業設立に関与して豊橋瓦斯・浜松瓦斯(両社とも現・サーラエナジーの前身)などを立ち上げていた。知多瓦斯も名古屋瓦斯の関与で設立されたガス会社の一つであり、初代社長は名古屋瓦斯社長の奥田正香が兼ねた。役員には地元半田の人物も3名を連ねており、うち中埜半助と穂積寅九郎(三重紡績知多分工場主任心得)が取締役を務める。 知多瓦斯の設備工事は順調に進み、1910年6月、半田町と隣の成岩町を供給区域として開業した。開業当初、6月末時点のガス孔口数は灯火用が583個、熱用が80個であった。 一方、電気事業を担う知多電灯株式会社は地元の中埜又左衛門(酢醸造業、中埜半助の実弟)ら11名によって発起され、1910年3月30日付で事業許可を得た。しかし知多瓦斯が順調に開業した一方で、この知多電灯では機械の調達などに手間取って開業が遅れてしまい、知多瓦斯開業を機に事業を一時見合わせ、次いで翌1911年(明治44年)5月に権利一切を知多瓦斯へと譲渡して消滅してしまった。
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