相模原市立新磯小学校
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相模原市立新磯小学校 | |
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北緯35度30分13.3秒 東経139度23分3.6秒 / 北緯35.503694度 東経139.384333度座標: 北緯35度30分13.3秒 東経139度23分3.6秒 / 北緯35.503694度 東経139.384333度 | |
過去の名称 | 新磯尋常小学校・新磯村国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 相模原市 |
学区 | 相模原市立南区磯部全域・新戸全域 |
併合学校 |
新戸学校 磯部学校 |
設立年月日 | 1892年(明治25年)11月1日 |
創立者 | 中村正一 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B114215020018 |
所在地 | 〒252-0327 |
外部リンク | 公式サイト |
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相模原市立新磯小学校(さがみはらしりつ あらいそしょうがっこう)は、神奈川県相模原市南区磯部に存在する公立の小学校である。
教育目標
- 『たくましさ・かしこさ・しなやかさ・あたたかさをいだいた子』を育てる。
- じょうぶな体をもった子
- よく考えてやりぬく子
- 力をあわせてはたらく子
- あたたかい心をもった子
沿革
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- 1892年(明治25年)11月1日 - 新戸学校・磯部学校が合併し、新磯尋常小学校が開校する。
- 1896年(明治29年) - 高等科を併設し、新磯村立尋常高等小学校と改称。
- 1906年(明治39年) - この頃、校庭にくすの木が植えられる。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、新磯村国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により、相模原町立新磯小学校と改称。
- 1959年(昭和34年)校地が拡張され、現在の広さとなる。
- 1963年(昭和38年) - 給食室が完成し、給食が開始される。
- 1964年(昭和39年) - 校歌と新しい校旗ができる。
- 1965年(昭和40年) - プールができる。
- 1972年(昭和47年) - 創立80周年記念式典挙行。
- 1973年(昭和48年) - 講堂が解体され、体育館ができる。
- 1974年(昭和49年) - 旧校舎の取りこわしが開始される。
- 1976年(昭和51年) - 現在の校舎が完成する。
- 1977年(昭和52年) - 東校舎(3教室)ができる。
- 1980年(昭和55年) - 現在の給食室ができる。
- 1983年(昭和58年) - 理科室、音楽室、視聴覚室ができる。
- 1986年(昭和61年) - わかば級ができる。
- 1990年(平成2年) - 算数科研究発表を行う。
- 1991年(平成3年) - 視聴覚室がパソコン教室になる。
- 1992年(平成4年) - 創立100周年記念式典挙行され、記念碑ができる。
- 1997年(平成9年) - 相模原市教育委員会委託C21研究発表を行う。
- 2001年(平成13年) - 相模原市教育委員会委託「新教育課程研究」発表を行う。
- 2003年(平成15年) - くすの木のベンチの老朽化に伴い、新設する。
児童数・学級数
- 本校の児童数は全学年合計で689人。学級数は全学年合計で30学級となっている(2024年(令和6年)5月1日現在)[1]。
通学区域
- 出典[2]
進学先中学校
- 出典[3]
- 相模原市南区
周辺
- 以下はJR相模線の東側に位置する。
- 下磯部東子どもの広場
- 常福寺
交通アクセス
- 神奈川中央交通「台06」系統で、「新磯まちづくりセンター前」停留所下車後、学校正門(校門)まで、
- のりば1(磯部行)から、徒歩約135m・約2分。
- のりば2(相武台前駅行)から、徒歩約85m・約1分。
- なお、バス停から学校敷地は目の前だが、校門との位置関係で、少し離れている。
- 小田急電鉄小田原線相武台前駅から、上述の神奈中バスに乗車し9分、「新磯まちづくりセンター前」停留所下車後、徒歩。
- JR東日本相模線相武台下駅から、徒歩約1.2km・約18分。
脚注
- ^ “各学校の内訳(50音順)”. 相模原市学務課 (2024年5月1日). 2025年2月13日閲覧。
- ^ 学校別通学区域一覧(小学校・義務教育学校(前期課程)) (PDF) - 相模原市
- ^ 学校別通学区域一覧(中学校・義務教育学校(後期課程)) (PDF) - 相模原市
関連項目
外部リンク
- 相模原市立新磯小学校のページへのリンク