白人移民の増加によるショーショーニー族の飢餓とは? わかりやすく解説

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白人移民の増加によるショーショーニー族の飢餓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:44 UTC 版)

ベア川の虐殺」の記事における「白人移民の増加によるショーショーニー族の飢餓」の解説

カリフォルニア・トレイルオレゴン・トレイル確立され1847年にはソルトレイクシティ設立されたことで、ショーショーニー族西進する白人移民と常に接触するようになった1856年までに、ウェルズビルを初めとしてキャッシュ・バレーでは初の恒久的入植地農場造られ次第北方延びていった。 当時モルモン教徒主導者であるブリガム・ヤングは、モルモン入植者周辺先住インディアン部族友好的な関係を築き上げることを提唱し、特に「戦うよりも食べさせる方針強調した。しかし、この方針とは裏腹に白人野生食糧資源を採りつくし、さらに彼らによる土地収奪のために、次第狩猟採集民であるショーショーニー族食べ物少な地域追いやられることになっていった。さらに、西へ向かう幌馬車隊の白人たちが食料調達したり狩猟を行うことで、ショーショーニー族からさらに食資源を奪う結果となった1859年には既にユタ準州インディアン問題監督官ジェイコブ・フォーニーがこれを認めるところとなり、「インディアンは...白人入ってくることによって貧窮化が進んだ」と記している。フォーニーはさらに、キャッシュ・バレーにインディアン保留地造ってショーショーニー族にとって基本的な資源を守ることを提案した。この提案アメリカ合衆国内務省とその上官は無視したショーショーニー族絶望的に飢えてきており、報復のためではなく生き残るために近く農場牛牧場を襲うようになった1862年早春ユタ準州インディアン問題監督官ジェイムズ・デュアン・ドティはキャッシュ・バレーで4日間を過ごし、「かなりの数のインディアン飢えて貧窮した状態にある。私の前任者彼等のために何の対策もしていないし、衣類食料も無い。...インディアン達は生きていくために、交易所泥棒入りかねない状況だ」と記した。ドティは食料買い求め、それを暢気分配したインディアン達に家畜与えれば乞食ではなく牛飼いにすることができると考えたのである1862年7月28日、キャッシュ・バレーの真北にあるモンタナ準州南西部山岳地、グラスホッパー・クリークでジョン・ホワイトが金を発見した。このことで、金鉱最も近い物資供給点であるソルトレイクシティと、鉱山キャンプの間に、キャッシュ・バレーの中央抜け移民物資供給の道ができた。 ショーショーニー族定住行わず獲物追って移動生活をおくっていた狩猟民族である。米軍以後、彼らの足取りを追うことに躍起となっているが、そもそも「放浪」ショーショーニー族伝統文化である。

※この「白人移民の増加によるショーショーニー族の飢餓」の解説は、「ベア川の虐殺」の解説の一部です。
「白人移民の増加によるショーショーニー族の飢餓」を含む「ベア川の虐殺」の記事については、「ベア川の虐殺」の概要を参照ください。

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