発足前の石垣のバス事業
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石垣でのバス事業は1930年(昭和5年)に個人が石垣 - 白保での貨客輸送を行ったのが始まりであるが、営業不振でまもなく事業終了となった。 1935年(昭和10年)には合資会社の八重山自動車商会が設立され、やはり石垣 - 白保でバスの運行を開始。1938年(昭和13年)には後に東運輸代表となる糸州長勝の経営に移行。この頃から戦時下で燃料入手が困難となり、1943年(昭和18年)に木炭自動車による運行、さらには馬車による運行に切り替えられたが、1944年(昭和19年)頃には事業を中止した。 戦後、八重山通運社が日本軍からの払い下げトラックにより運行したが、1946年(昭和21年)1月に八重山支庁に接収され政府の事業となった。 1950年(昭和25年)、ガリオア資金による日本製自動車の支給の際に、戦前からの業者との条件が付いた。該当者は八重山自動車商会の代表であった糸州長勝しかおらず、これを引き受けることとなった。
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