発展後の歴史と国際性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/03 13:30 UTC 版)
「バスク・ペロタ」の記事における「発展後の歴史と国際性」の解説
19世紀半ばにはペロタのブームが爆発した。1860年頃にはペロタ選手のガンチキ・ディトゥルビデ(Gantchiqui Dithurbide)によって、チステラと呼ばれるバスケット状のラケットが導入され、信じられないほどの速度でボールを打ち返すことが可能となった。19世紀末には優勝者がチキート・デ・カンボと呼ばれ、大きな人気を得たほか、当時のスポーツ選手としては最高の敬意を払われた。1900年パリオリンピックでは正式競技として開催され、1920年代には初の公式大会が組織され、1929年には国際バスク・ペロタ連盟が設立された。1952年には国際連盟による世界大会が開催され、この大会は1958年から世界選手権に移行した。 今日、ペロタは様々な国でプレーされており、ヨーロッパではスペインとフランスの、特にバスク地方に集中している。スペインとフランスの他にバスク・ペロタの国内連盟がある国には、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、カナダ、コスタリカ、キューバ、チリ、ドミニカ共和国、エクアドル、エルサルバドル、フィリピン、グアテマラ、イタリア、メキシコ、パラグアイ、ペルー、アメリカ領プエルトリコ、ウルグアイ、アメリカ合衆国、ベネズエラ、オランダ、スウェーデン、インド、ギリシャがある。競技のルーツが理由で、名選手はバスク人かバスク系人(バスク地方にルーツを持つ選手)であることが多い。ラテンアメリカでは特にアルゼンチン、チリ、ウルグアイ、キューバなどで人気がある。賭博の対象としてプレーされているハイ・アライ(ペロタの一種)は、アメリカ合衆国のフロリダ州、コネチカット州、ネバダ州、ロードアイランド州など一部の地域でみられる。スペインのバレンシア州ではバレンシア・ピロタ(ペロタの一種)が国民的なスポーツとされており、バレンシア・ピロタはベルギー、北イタリア、メキシコ、アルゼンチンでもプレーされている。
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