甲種幹部候補生の教育施設
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「幹部候補生 (日本軍)」の記事における「甲種幹部候補生の教育施設」の解説
学校教育・二年修業制への変更で甲種幹部候補生は軍学校に派遣しての教育が原則となったが、派遣先は兵科、部により様々であった。また兵科、部が同じであっても時局や幹部候補生が所属する部隊の所在地によって異なる場合があった。以下は1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)までに幹部候補生の教育が行われたと確認できる派遣先である。 各兵科 歩兵科の派遣先は陸軍予備士官学校がもっとも一般的であるが、候補生の総数に対して学校の規模が十分でなく、改正陸軍補充令附則第5条にもとづいて陸軍歩兵学校、陸軍教導学校などの施設を利用して教育する場合があった。 ほかに兵科・兵種によっては陸軍騎兵学校、陸軍戦車学校(のちに千葉陸軍戦車学校と改称)、陸軍公主嶺学校、四平陸軍戦車学校、陸軍野戦砲兵学校、陸軍重砲兵学校、陸軍防空学校(のちに千葉陸軍高射学校と改称)、陸軍工兵学校、陸軍通信学校、陸軍自動車学校(のちに陸軍機甲整備学校と改称)、陸軍輜重兵学校、陸軍習志野学校などの校内に幹部候補生隊を編成して教育をした。 航空兵科は甲種幹部候補生だけに限らず乙種幹部候補生も学校教育を基本として陸軍航空技術学校、仙台陸軍飛行学校その他の航空関連諸学校で専門教育を行った。 陸軍の諸学校以外にも陸軍船舶練習部、陸軍鉄道練習部、陸軍陸地測量部などへ派遣されて教育を受ける者もあった。また遠隔地の部隊に所属した幹部候補生には南方軍では南方軍幹部候補生隊、支那派遣軍では保定幹部候補生隊、緬甸(ビルマ)方面軍では緬甸幹部候補生隊、関東軍では奉天甲種幹部候補生隊などを組織して集団教育にあたった。極端な例では関東軍が「予備士官学校」を満州国牡丹江省石頭に独自に設置して甲種幹部候補生を教育したという記述が一部に確認できるが、これは通称であり正式には「関東軍歩兵第二下士官候補者隊」(満州第604部隊)が編成を増強して甲種幹部候補生を入隊させ教育したものである。 各兵科(技術従事)― 1940年より技術部 陸軍造兵廠での教育のほか陸軍工科学校(後に陸軍兵器学校と改称)、陸軍兵器行政本部などでも幹部候補生教育を行った。 各部 経理部は陸軍経理学校、衛生部は陸軍軍医学校、獣医部は陸軍獣医学校、法務部は陸軍法務訓練所など諸学校のほか、遠隔地では南方軍経理教育部、南方軍衛生教育部などを組織して教育した。一部著述に見られる「新京陸軍経理学校」は通称であり、正式には「関東軍経理部幹部教育隊」(満州第815部隊)である。
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