甲斐物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)
荒芽山の離散後、諸国を巡った信乃は、文明13年(1481年)10月に甲斐国を訪れた。信乃はここで武田家家臣の泡雪奈四郎に鉄砲で誤射されてトラブルとなり、仲裁に入った猿石村村長・四六城木工作(よろぎ・むくさく)の家に逗留することになる。降雪によって逗留は長引くが、木工作の家には浜路という名前の養女がいた。ある夜、この浜路に大塚村の浜路の霊が乗り移り、信乃に想いを伝える出来事があった。木工作の後妻である夏引(なびき)らがその場に踏み込んで騒動となるが、信乃と語らった木工作はさまざまな因縁に感じ入り、浜路を信乃に嫁がせることを考える。 夏引は泡雪奈四郎と不倫の仲にあり、浜路を疎ましく思っていた。木工作は奈四郎の許を訪ねて口論となり、逆上した奈四郎は木工作を撃ち殺す。夏引と奈四郎はその罪を信乃にかぶせようと石禾(いさわ)の指月院で謀議をめぐらす。武田家の眼代によって信乃は村長殺しの疑いで捕縛され、浜路も同道させられた。 実は、眼代は犬山道節が変装していたものであった。指月院は故あって丶大が住持を務めることになり、そこにたまたま荘助・道節らが立ち寄ったことから犬士の捜索拠点になっていた(この時は道節が近辺の、荘助が遠方の探索に当たっていた)。夏引と奈四郎の謀議は小坊主に立ち聞きされ、信乃や浜路のことも知られたのであった。道節の後にやって来た本物の眼代も偽装工作の不審に気づいて夏引らは拘引され、奈四郎は逃亡したが悪行の報いを受けることになる。 指月院で丶大はまた、浜路は実は里見家の姫(義実から家督を譲られた里見義成の五女)で、幼少時に大鷲に攫われた浜路姫であったということを伝える。道節・信乃は安房へ向かう浜路姫を隅田川まで送って別れ、残る犬士を探す旅に出る。
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