甲斐源氏河内氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 04:05 UTC 版)
甲斐源氏の一族。本拠とした「河内(こうち)」は平安時代の石和荘域にあたる山梨県笛吹市石和町南部の地名であると考えられている。平安後期に源義光の子である源義清・清光父子が甲斐国市河荘に入り武田氏を称した。清光の子孫は甲府盆地各地へ進出して土着するが、石和地方では河内長義(清光の子)のほか石和御厨に拠った平井清隆や武田信光らが土着し、河内長義は河内・小石和を中心とする石和荘に拠り、河内氏を称して初代となる。貞治3年(1364年)の『一蓮寺寺領目録』『一蓮寺文書』には南北朝期にも河内氏が在地支配を持続していた記事が見られ、鎌倉時代に石和荘は金沢流北条氏領となっているが、河内氏は地頭として支配を行っていたと考えられている。
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