甲斐源氏の信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 15:42 UTC 版)
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、甲斐源氏の一族は仏教に帰依し、本拠地に数々の寺院を創建した。 特に源氏の氏神である八幡神を勧請した八幡信仰、八幡神の本地仏とされた阿弥陀信仰、平安後期の末法思想に伴う浄土信仰は盛んで、甲斐源氏の頭領である武田信義は本拠の武田郷に武田八幡宮(韮崎市)を創建したという。また、武田八幡宮に近接する願成寺(韮崎市)を再興したとされ、願成寺には本尊の阿弥陀三尊像が伝来しているほか、甲斐善光寺にも同様の阿弥陀三尊像が伝来している。 峡東地域においては安田義定が創建したとされる放光寺(甲州市)に本尊の大日如来像のほか愛染明王像、不動明王像など密教に関する諸仏が残され、特に愛染明王坐像は遺例の少ない「天弓愛染」像として知られる。加賀美遠光の進出した西郡地域では宝珠寺(南アルプス市)に大日如来及四波羅蜜菩薩坐像が伝来しており、大聖寺(身延町)に伝来する不動明王像は遠光が高倉天皇から下賜されたとする伝承を持つ。 ほか、甲斐源氏の一族は時宗や日蓮宗など鎌倉新仏教にも帰依し、時宗では二世他阿真教が甲斐を遊行している様子が『一遍上人絵伝』などに描かれ、真教に帰依した一条時信の弟の一条宗信(法阿朔日)が一蓮寺(甲府市)を創建している。 日蓮宗の開祖である日蓮は『立正安国論』を著し鎌倉幕府へ進言を行うが、文永8年(1271年)に鎌倉から佐渡島へ追放される。日蓮は文永11年(1274年)に赦免され鎌倉へ戻ると、同年5月に南部光行の息子の波木井実長に招かれ波木井郷へ居住し、弘安5年(1282年)まで同地で過ごしている。甲斐国には日蓮直筆の曼荼羅本尊などが伝来している。
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