甲斐移転説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 10:26 UTC 版)
13世住職周円は川中島の戦いの際に死亡せず息子西順と共に甲斐都留郡小片山(現在の山梨県都留市小型山)に逃れ、同地に浄興寺を再建したとする説。 東京都大田区東矢口には、この甲斐浄興寺の法燈を継いだとする浄土真宗本願寺派の浄興寺が現存している。
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