用途とその広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 15:14 UTC 版)
旧石器時代の局部磨製石斧は、大型獣の狩猟や解体、木の伐採や切断、土掘りなど多目的に用いたもので、局部を磨いたのは土や木から斧を抜き取る際、いくらかでもスムーズに抜けるよう工夫したものであろう。 縄文時代に入って定住生活が一般化すると、用途に応じた打製石斧・磨製石斧、大小や形状さまざまの石斧がつくられるようになった。打製石斧は、中期以降土掘り具としての利用が主流をなすとみられる。このことからかつて「縄文農耕」が唱えられたこともあったが、少なくとも根茎類採集が生活において重要な位置を占めるに至ったことを示すものであることは確かとみられる。いっぽう、磨きの技術も徐々に発展し、精緻な磨製石斧も現れる。伐採や木材加工用の実用品のほか、祭祀につかわれたものも増える。 弥生時代中期後半の畿内で、太型蛤刃石斧の使用が頂点に達し、大多数が使い古した状況で見つかる。長い元のままの場合は例外的である。短くなっており、刃がすり減ったり、割れたりしているものが多い。この石斧の材料が輝石・閃緑岩など、重い深成岩からできているためである。扁平片刃石斧は、まだ使える状況のまま残っている。これは、石斧の役割が鉄斧に遷っていったことを意味する。東海・南関東においても弥生中期後半には鉄斧が普及しており、さらに、この時期に戦争が始まっていたと考えられている。統合への道を歩み始めていたと考えられる。 秋田県東成瀬村の上掵遺跡からは、長さ60.2cm、重さ4.4kgの世界最大級の磨製石斧(緑色凝灰岩製)が出土している。縄文時代前期の遺物とみられるが、使用痕跡もなく、祭祀のための遺物と考えられる。 北海道伊達市の北黄金貝塚からは、軽石製の磨製石斧が出土している。これも実用されたのではない。縄文時代後期の作と考えられる。
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