玉砕戦か否か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 14:22 UTC 版)
四條畷の戦いについて、軍記物語『太平記』に登場する正行は、迫りくる高師直兄弟の大軍に対し、決死の覚悟の玉砕を心に決め、辞世の句をあらかじめ残していたと描かれている(→辞世の句)。 しかし、戦前の研究者の藤田精一は、話そのものの悲壮美は賞賛するものの、この話が歴史的事実かどうかについては「同情的潤色」と断言している。 戦後の研究者の生駒孝臣は、さらに具体的な証拠を挙げて、歴史上の正行が討死を前提として四條畷の戦いに臨んでいたとは、到底考えられないと指摘している。一つ目の論拠としては、史上においても『太平記』の劇中においても、正行は幕府の名だたる勇将と大軍を相手にここまで連戦連勝を重ねて一度たりとも敗北を経験していないのに、突然戦況に絶望して討死を言い出すのは不自然であることが挙げられる。第二に、楠木氏同族の大塚惟正(楠木惟正)が12月中旬に和田氏へ宛てた書状(『和田文書』)に、北朝が動き始めたが次こそが勝敗を決する大事な合戦であると書いており、言い換えれば、あくまで楠木氏は幕府に対する勝利を最後まで軍事目標としていたという実証的な証拠がある。よって、生駒は、正行は師直に玉砕して死のうなどとは思わず、むしろ今回も大胆不敵に勝利を目指して師直に挑んでいったのではないか、としている。 亀田俊和もまた、楠木正成・正行父子の戦い方は、たまたま大軍相手に討死したという結果だけ取り上げると玉砕に見えてしまうが、史料上から示される楠木父子の戦略はむしろ玉砕の精神とは逆であり、彼らは時代を先駆けて、情報の収集・分析による合理的な戦い方を本分としていたと主張する。そして、歴史上の人物を英雄視すること自体にはどちらかといえば肯定的であるものの、それはあくまで史料に基づくべきであるとしている。
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