猫が足を引っ張る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/29 13:41 UTC 版)
しかし、このニューヨーク公演によって長嶺は深い虚無に取り付かれることとなった。リンカーンセンター公演を前にしての金策、公演後の借金、公演中の観客の熱狂に対する日米の落差などが長嶺の心に虚無を生んだ。長嶺は、ニューヨーク公演以前は、舞台に立つ直前は緊張にとらわれていたが、ニューヨーク公演を境に舞台前でも良く言えば平常心、悪く言えば緊張感が無くなってしまったと自身が告白している。 そんな長嶺を虚無から救ったのが、猫である。昭和55年(1980年)長嶺は車で猫を轢いてしまう。長嶺は、以後、捨て猫、捨て犬を拾って育てるようになり、その数は猫150から160匹、犬15から20匹と言われる。これらの犬猫の養育に時間を取られることが、マスコミをして「猫が足を引っ張る」といわれ、批判、批評の的ともなったが、一方、長嶺にとっては生き物を通して改めて命を見つめる機会ともなっていった。 昭和58年(1983年)、空海入寂1150周年を機に、僧侶の読経による舞踊を企画する。これが「曼荼羅」で知り合いの僧侶の協力により、初演では83名の僧侶による声明(しょうみょう)を背景に、人間の業と救済をテーマに舞台を展開した。翌昭和59年(1984年)、「曼荼羅」ニューヨーク公演。僧侶50名の協力を得て、舞台を演じて大反響を得た。 その後も「安達ヶ原」、「浮世風呂」など日本の古典に着想を得た作品を発表していたが、昭和63年(1988年) 「ある恋の物語」で創作フラメンコを再開し、以降も活動している。 また、平成7年(1995年)から知り合いの画商の勧めで油彩を描き始め、毎年個展を開いている。 平成13年(2001年)紫綬褒章受章。
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