猪鼻駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:22 UTC 版)
『遠江国風土記』によると、上代の二見の道は、板築駅や「猪鼻駅」を経て有玉川を渡っていた、とされている。「猪鼻駅」の所在地について『遠江国風土記伝』の著者・内山真龍は、猪鼻湖の瀬戸にあったとし、上代の道は板築から三ヶ日に至る前に浜名湖西岸を南に向かい、大崎から対岸の舘山へ、湖上約4キロメートルを橋で渡っていた、と推測した。 内山の推測は、15世紀の連歌師・宗祇が「浜名橋は水海より北の山岸なり。橋本の宿より三里(12キロメートル)余り北なり(…)古は浜名を海道とせられけり、本坂とて高師山の北に今もあり、橋本は今の海道なり」と記した記録や地元の古老の話を元にしているとみられており、この「浜名橋」は浜名湖南岸の「浜名橋」と区別して「湖北の浜名橋」と呼ばれている。 内藤 (1972, pp. 146, 163)は、長大な橋があったにしては、他の歌や記録に橋のことが記されていない、として、「猪鼻湖」は浜名湖全体の別名であり、「猪鼻駅」は『続日本後紀』にあるように荒井(新居)のことを指していたのではないか、としている。
※この「猪鼻駅」の解説は、「二見の道」の解説の一部です。
「猪鼻駅」を含む「二見の道」の記事については、「二見の道」の概要を参照ください。
- 猪鼻駅のページへのリンク