湖北の浜名橋
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遠江国では応永12年(1405年)、文明7年(1475年)、明応7年(1498年)と3度の大地震を経験し、浜名湖南岸の「浜名の橋」が流されて交通が止まり、東海道が浜名湖の北を迂回していた時期があった。 前出の、宗祇が記した「湖北の浜名橋」は、『遠江国風土記伝』では大崎‐舘山間に架けられていた、と推測されているが、この時に架けられた仮橋か、或は、宗祇のいう「橋本宿より3里ほど北」の「山岸」にあたる、引佐細江(細江湖)に架けられていた橋のことではないか、とみられている。
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湖北の浜名橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:22 UTC 版)
遠江国では応永12年(1405年)、文明7年(1475年)、明応7年(1498年)と3度の大地震を経験し、浜名湖南岸の「浜名の橋」が流されて交通が止まり、東海道が浜名湖の北を迂回していた時期があった。 前出の、宗祇が記した「湖北の浜名橋」は、『遠江国風土記伝』では大崎‐舘山間に架けられていた、と推測されているが、この時に架けられた仮橋か、或は、宗祇のいう「橋本宿より3里ほど北」の「山岸」にあたる、引佐細江(細江湖)に架けられていた橋のことではないか、とみられている。
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