特異点・例外・各方言の変移地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 17:01 UTC 版)
「テューリンゲン・オーバーザクセン語」の記事における「特異点・例外・各方言の変移地域」の解説
神聖ローマ帝国時代のザクセン東部地域とラウジッツ地域(現在のポーランドを含む)では、マイセン方言と中部東ドイツ語(Ostmitteldeutsche)に属するラウジッツ方言とが混合した言語が話されていた。この混合方言は、その地方に残っていたスラブ人も受け入れていった。 唯一このラウズィッツ地域でのみ、西スラブ語群の一つであるソルブ語が現在に至るまで今なお話されている。 また、スラブ語の語彙がドイツ語に入り込んだ例もある。一例としては"Grenze"(境界・国境)がそうである。スラブ語の方でも、テューリンゲン・オーバーザクセン語からの借用語がある。 ソルブ語の語彙がドイツ語に輸入されたケースは珍しくない。そのため、ソルブ語はテューリンゲン・オーバーザクセン語と深い繋りがあるのでは、という見方をする研究家もいる[誰?]。 マイセン方言 テューリンゲン・オーバーザクセン語のうちオスターラント方言も含め、時折キャバレーやコメディでマイセン訛りが用いられることがある。 ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)出身者だということを表現するためであったり、かつてのプロイセン(ベルリン、ブランデンブルク)と神聖ローマ帝国時代のザクセン地域(文化中心都市であるドレスデン、ライプツィヒおよびケムニッツ)間の、文化・精神性の少なくない相違、政治・歴史の大きな差異を、コントじみたデフォルメで描き出すためであったりする。 その場合の話し手は、ザクセン出身というわけではなく、マイセン方言やオスターラント方言をそれぞれ可能な程度で真似ているだけである。それによって、この方言地域に対する間違ったイメージを、舞台やメディアを通して示すことになる。 しかしながら、テューリンゲン・オーバーザクセン語、とりわけアンハルト方言・テューリンゲン北方言・アイフスフェルト方言は、過去数世紀の長きにわたって標準ドイツ語の模範と見なされてきたのである。 テューリンゲン西方言 西テューリンゲン方言は、主にクプファーズール峠坂(Kupfersuhl)を超えてファハ市(Vacha)へいたる地域と、ヘンネベルク方言地域(Hennebergisch)の北部境界線が通っているザルツボーゲン地域(Salzbogen)との間の土地で話される。その辺りでは、ヘンネベルク方言から西テューリンゲン方言へ移行・混合している。 中央テューリンゲン方言は、主に東ヘッセン方言地域、またレーン方言地域(Rhön)、及びそこに境を接するレーン低地方言地域(Rhöner Platt)をいう。 非常に興味深いことに、バート・ザルツンゲン地域(Bad Salzungen)ではテューリンゲン・オーバーザクセン語らしさがほとんど感じられない。
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