牧野省三の時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 牧野省三の時代の意味・解説 

牧野省三の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 10:49 UTC 版)

千本座」の記事における「牧野省三の時代」の解説

明治時代正確な成立時期は不明であるが、京都府京都市上京区千本通一条上ル東側泰童片原町665番地大野座(おおのざ)と呼ばれていた芝居小屋存在した当初は、芝居小屋というよりも、上七軒芸妓出演する義太夫といった演芸上演する演芸小屋要素強かった。同館は、隣接する牧野省三宅の敷地内にあったため、牧野とその母・牧野彌奈が1901年明治34年)に買収してこれを改築同年9月1日改め開場が行われ、千本座として開館した。同館はもともと300坪もの大劇場であり、大改築工事であったうえに、同年6月6日新京極常盤座焼失このため規制厳しくなって数度の改築余儀なくされた。 同館は、牧野経営乗り出した当初ひきつづき旧劇歌舞伎)を上演し西陣地区代表する芝居小屋のひとつになった。のちに1,000本にものぼるサイレント映画主演する日本初映画スター」になる尾上松之助は、1909年明治42年)に牧野によって岡山発見されとされるが、1902年明治35年2月1905年1月および同年2月に同館で公演行っている記録残っている。 1903年明治36年6月京都開業した横田商会は、同館でシネマトグラフ興行行っていたが、同社横田永之助1908年明治41年)に牧野映画製作依頼牧野は同館に当時出演していた中村福之助嵐璃徳主演に『本能寺合戦』を製作・監督し同作同年9月17日東京神田錦輝館公開された。同作は「日本初時代劇映画」と呼ばれる翌年7月14日から数か月間、尾上松之助一座が同館で公演行ったが、同年10月17日公演中之助に、横田商会製作する碁盤忠信源氏礎』への主演依頼、同館の裏にあった大超寺(のちに移転)の境内撮影行った同作東京浅草公園六区富士館同年12月1日公開された。

※この「牧野省三の時代」の解説は、「千本座」の解説の一部です。
「牧野省三の時代」を含む「千本座」の記事については、「千本座」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「牧野省三の時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「牧野省三の時代」の関連用語

1
6% |||||

牧野省三の時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



牧野省三の時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの千本座 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS