牧野省三の時代
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明治時代、正確な成立時期は不明であるが、京都府京都市上京区千本通一条上ル東側、泰童片原町665番地に大野座(おおのざ)と呼ばれていた芝居小屋が存在した。当初は、芝居小屋というよりも、上七軒の芸妓が出演する義太夫といった演芸を上演する演芸小屋の要素が強かった。同館は、隣接する牧野省三宅の敷地内にあったため、牧野とその母・牧野彌奈が1901年(明治34年)に買収してこれを改築、同年9月1日に改めて開場式が行われ、千本座として開館した。同館はもともと300坪もの大劇場であり、大改築の工事であったうえに、同年6月6日に新京極の常盤座が焼失、このために規制が厳しくなって数度の改築を余儀なくされた。 同館は、牧野が経営に乗り出した当初はひきつづき旧劇(歌舞伎)を上演し、西陣地区を代表する芝居小屋のひとつになった。のちに1,000本にものぼるサイレント映画に主演する「日本初の映画スター」になる尾上松之助は、1909年(明治42年)に牧野によって岡山で発見されたとされるが、1902年(明治35年)2月、1905年1月および同年2月に同館で公演を行っている記録が残っている。 1903年(明治36年)6月に京都に開業した横田商会は、同館でシネマトグラフの興行を行っていたが、同社の横田永之助が1908年(明治41年)に牧野に映画製作を依頼、牧野は同館に当時出演していた中村福之助、嵐璃徳を主演に『本能寺合戦』を製作・監督し、同作は同年9月17日に東京・神田の錦輝館で公開された。同作は「日本初の時代劇映画」と呼ばれる。翌年7月14日から数か月間、尾上松之助一座が同館で公演を行ったが、同年10月17日、公演中の松之助に、横田商会が製作する『碁盤忠信源氏礎』への主演を依頼、同館の裏にあった大超寺(のちに移転)の境内で撮影を行った。同作は東京・浅草公園六区の富士館で同年12月1日に公開された。
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