千本座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 02:42 UTC 版)
千本座(せんぼんざ)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。正確な成立時期は不明であるが、京都府京都市上京区千本通一条上ル東側にあってもともと大野座(おおのざ)と呼ばれていた芝居小屋を牧野省三が1901年(明治34年)に買収して改称、同年9月に改めて開館した[1][2][4][12]。1912年(大正元年)9月、日活に買収され、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)前後に千本日活館(せんぼんにっかつかん)と改称した[1][2][13][14][15]。同館の館主であった牧野が、同館の俳優を使用して「日本初の時代劇映画」と呼ばれる『本能寺合戦』を製作・監督したことから、「劇映画発祥の地」として知られる[3]。
- ^ a b c d e f g h i j 千本座、立命館大学、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 思い出の西陣映画館 その一、『上京 史蹟と文化』1992年第2号、上京区役所、1992年3月25日付、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e 千本座、京都新聞、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b c 牧野省三の遺跡を辿る、京都市フィルムオフィス、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b 年鑑[1925], p.473.
- ^ a b c d 総覧[1927], p.679.
- ^ a b c d 総覧[1929], p.283.
- ^ 総覧[1930], p.585.
- ^ 昭和7年の映画館 京都市内 37館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e 年鑑[1942], p.10-69.
- ^ a b c d e 年鑑[1943], p.472.
- ^ a b c d 京都府[1971], p.18.
- ^ a b c d 日経[1951], p.1004.
- ^ a b c d 日活[1952], p.59.
- ^ a b c d 年鑑[1965], p.122.
- ^ a b ハイツ千本一条、SUUMO物件ライブラリー、リクルート、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b 千本、無印良品、2013年9月24日閲覧。
- ^ 本能寺合戦(太閤記の本能寺)、日本映画データベース、2013年9月24日閲覧。
- ^ 碁盤忠信源氏礎、日本映画データベース、2013年9月24日閲覧。
- ^ a b c d 京都文化のアーカイブ・コンテナとしてのフィルム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年9月24日閲覧。
- ^ 主要映画館の閉館時期、立命館大学、2013年9月24日閲覧。
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