片桐家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 10:14 UTC 版)
大和小泉藩は石州の三男の片桐貞房が継いだが、茶湯指南の職を継いだ訳ではない。藤林宗源の系譜が片桐家中を出て本庄家に移ったこと(後述)も合わせると、おそらく片桐家では茶湯の伝承に関心がなかった時期があると考えられる。歴代の中で8代藩主片桐貞信は茶人として知られており、江戸千家の茶風を加味して新石州流と称したと伝えられるが、これもその後伝承された痕跡は残っていない。 昭和初期に小泉の屋敷の主人だった水田秀光が中心となって、当時の当主である片桐貞央子爵を軸に石州流の大同団結が図られた。その結果として、戦後に財団法人高林庵(こうりんあん)が発足し、片桐家を宗家とする一種の家元制度が成立した。15代片桐貞泰は井沢宗達に伝授を受けている。現在は分派して石州流茶道宗家(一般財団法人高林庵,大和郡山市)と茶道石州流宗家(奈良市)という二つの宗家が存在する。 一方、長男の下條信隆(1624年 - 1716年)は石州の庶子で、1000石の旗本として取り立てられた。代々父子相伝で伝えられてきたが、石州から数えて7代目の片桐宗猿(1774年 - 1864年)の時に梶宗龍に伝授される。宗猿までは茶道の他に、華道と盆石も伝わっていたが分流した。梶宗龍より維新後に磯貝宗和(1854年 - 1940年)に茶道が伝えられて東京で広められた。この流れを石州流宗猿系と称する。さらに分派がすすみ、石州流片桐宗猿派と称する2派に伝えられている。 石州の弟片桐貞晴は、3000石の旗本として取り立てられた。子孫の片桐宗幽が茶人として名を残すが、その後は茶系譜は伝えられていない。
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